人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

後悔のリレーを食い止める!

甘えであることは自覚した上で。

「親にされたアレが、私の人生を狂わせた」

「あのとき親がこうしなければ、私はアアだったのに」

という後悔が、人にはいくつかあるのではないかと思います。もちろん、人生や性根は結局本人に帰するものですし、私もいまさら親のせいにして糾弾するほど愚かではないつもりです。

ですが、親というステートに生まれて初めてなることで、子供の教育について悩みを抱えたとき、やはり参考になるのは書物よりも実体験だと思うのです。

「自分が子供だったとき、どうされたら嬉しかったか。どうされたら嫌悪感を抱いたか」

その時の親の態度を決して責めることなく自分の教育方針を定める、というのは本当に人間ができていないと難しいものです。私にも大なり小なり

「もっと親にこうしてもらえていれば、今頃は」

という思いがどこかにあります。……まあ、単に私の人間ができていないだけかもしれませんが。

きっと親も我らの子育てについて後悔していることがたくさんあるんだと思います。「なんでこうなるの?」という怒りも抱えたことでしょう。でも時間は取り返しがつきません。ならば次世代につなぐ私たちの役割は、

後悔のリレーを断ち切る

ことだと思うのです。

私にとって、親にハッキリと不信感を抱いたのは、今まで厳しかった態度が急に緩和したときでした。今までがんじがらめに近いくらいの厳しさで、さまざまな生活態度を監視されていたというのに、中学生になったころからでしょうか、突然何も言われなくなったのです。

逆に、今まで特に言われなかった勉学、交友には口うるさいほど介入し、理屈と理由をはっきり名言せずに「中学生のくせに」「高校生のくせに」「親の庇護下のくせに」という支配的な言い方でそれらを封じ込められたのは、今でもわだかまりを持っているところがあります。

もちろん、今では親の気持ちもわかります。だから全否定するつもりはありません。ただ、私はこの体験から、子育てをするにあたって心に決めたことがあります。

「親の都合で子供から目を離さない」

「一度大人として扱うと決めたら、親の権限で子の自由に介入するとき、かならず支配ではなく対話から入る」

親はいつまでも子のことを気にかけるものですね。両親は昔より今のほうが私に甘い。そして孫にだらしない。だからこそ、そのありがたみに感謝し、この後悔を子に伝えたくない。

これは親孝行の一種だと思っています。




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