人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

フラブラ?

フラブラとは、フライングブラボーの略だそうで。

要は、楽曲の途中で「ブラボー!」と叫んだり、拍手したりすることを言うそうです。

クラシックでは、曲中はもちろん楽章の区切れですら拍手することや歓声をあげることはご法度、曲の最後の微音を弾き終えるまで、しわぶき一つあげてはならない。

だからネットで「フラブラ」と検索してみると、「殺意を抱く」とまで書かれた怒りの書き込みが山のようにあらわれて、なかなか興味深いです。

自分はロック畑育ちなので、そのへんはおおらかです。ロックは「場違いな掛け声すらも伝説」と考える精神土壌があるんですよね。だからちっともイヤではない。これを嫌がっていたらスカコア(というジャンル)なんて聴けませんよ。ライブでは、客がステージによじ登って踊り狂ったあげく、客席にダイブを繰り返しますから。……厳格なクラシックファンの方は卒倒するのではないでしょうか。

「生演奏(ライブ)」という面白さは何が起こるかわからないダイナミズムにあると信じています。トチる、転ぶ、バチを飛ばす、弦を切る(タングルウッドの奇跡などがそれですね)……。ステージではいろんなことが起こります。それすらも楽しむ文化が、クラシックにもあってもいいんじゃないかなぁ。

もともとクラシックはそういう文化だったはずなのです。だって、カデンツァがありますから。カデンツァはソリストが即興で弾くパートソロですよね。ジャズなどにはその流れがまだ残っていて、アドリブを聴くためにわざわざライブハウスに脚を運ぶ客がいるくらい。

それがいまや、カデンツァすら楽譜になっていて、それを弾いているんだから、なんだか本末転倒な話だなあ、と思いますよ。昔のほうがライブ感は大切にされていたんじゃないかなあ。

とある国の教会で、ある演奏者が多くの客を前にヴァイオリンの独奏をしていたところ、突然携帯の着信音が鳴り響くという事件がありました。

そのソリストは怒るでもステージを降りるでもなく、大変落ち着いて、着信音をヴァイオリンでアレンジしながら弾いてみせ、その流れで元の曲に戻って弾ききり、観客から盛大な拍手を受けたそうです。

携帯の電源を切るくらいは最低限のマナーだと思いますし、演奏者も毎度毎度そんなサービスをしている余裕は無いでしょうけど、人間にはうっかりとか、感極まってとか、いろいろと感情がある生き物だと思うのです。だからこそ面白いのではないの? だからこそ音楽・ライブなんじゃないの? なんて考え方はダメですかね。

どうしてもイヤならしっかりとルール化・罰則化すればいいのに。CD録音をしているなら特に。これを邪魔したものは、オケに再度演奏させる分の演奏代・会場の延長使用代を罰金として支払っていただきます、とか決めればいいじゃないですか。その上で出入り禁止にするなどなど。

「ルール化をしないのは、観客の良心を信頼しているから」

ということなのでしょうけど、それならなおさら、多少のアクシデントは生演奏ならではの楽しみということで許容してくれるといいなあ……。

私は危惧しているのです。ファンが素人に向けて自主規制を求める怒りの声をあからさまにぶつけていると、『クラシックファンは選民意識の塊である』という曲解を与えるのではないかと。

ちがいますよね。何も知らない幼児ですら楽しそうに演奏できる、ステキな世界ですよね。

五嶋みどりさんが19歳のときカーネギーホールで演奏したサラサーテでは、あれだけ耳の肥えた観客席からワンフレーズ目で盛大な拍手とブラボーの掛け声があがり、みどりさんも演奏しながら笑顔になっていました。私はこっちのほうが理解しやすい文化ですね……。

それとは別の話ですが……。

「フライングブラボー」という言葉は二度と使わないほうがいいと思います。ここでその理由を書くのは気がひけるので、気になる方は口語英語、be flying bravo、で意味を調べてみてください。

 




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