人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

まだ褒めるしかできない

クラシックは昔から好きでした。

ですが、今ほどよく聴くようになったのは、やはり娘がヴァイオリンを始めてからです。それまでは「クラシック」は「クラシック」であり、いいも悪いもなかったものです。白鳥の湖を誰が弾こうと、運命をどこの楽団が弾こうと、「一緒でしょ、同じ楽譜なんだし」ていどの認識でした。

が。やはり聞き比べるようになると、違いがわかるものですね。私の場合、まだ人の演奏をどうこう言えるような知識も耳も育っていないのですが、それでも先日聴いたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏は心が震えました。

生演奏を聴けば聴くほど、テレビで聴くオーケストラでは物足りなくなりますね。『題名のない音楽会』が幼少のころから好きで、今も見続けていますが、最近ではあの番組の音が満足できない。ハイビジョン事業に総力をかけたNHKならもっといい音か、と思い、N響定期コンサートを録画しているのですが、やはりコチラも納得がいかない。

これ、凝りだすと、AV方面に行きますね。プラチナのジャックでアンプと木のスピーカーをそろえ、ハウジングをしっかり……とまで考えて、いやいや何か間違っている、本末転倒だ、と気づくという日々です。

その程度の耳の私ですが、素晴らしいと思った演奏を素人評論家に酷評されるとイラッときます。

聴き方が違うのか。それとも理想を追い求めすぎて耳が敏感になりすぎているのか。批判することがひとつの愉しみになっているとしか思えない人も中にはいます。褒めるにしてもやけに斜に構えた言い回しが多い。芸大の定期発表会にくる客に比較的多いのですが、したり顔をした中高年がまるで総評かのようにグチャグチャ言っているのを聞くとどうも気分が……。

「ソロで立たすにはまだ早いんじゃないの?」

「退屈で聴き所のない演奏だった」

私が実際に耳にした言葉です。ていうかおじさん、さっき寝てたよね? ああそうか、あなたが寝る演奏=退屈な演奏なのか。……知らんがな!!!

中途半端に知っている人ほどこの傾向が強い。私みたいに本当に何も知らないド素人か、本職の指揮者やトップヴァイオリニストにもなると、褒めてばかりいますね。中途半端なときは、自重するのが人として正しい気がします。

好き嫌いはいいと思うのです。「自分は好き、嫌い」という目線で語っているのですから、発言の責任はその人に帰しますし。それと、上を目指す演奏者が「自分は一番」とうぬぼれるのも、ある一方の意味では大事な資質だと思います。そこは理解しているつもりです。

まだ褒めるしかできない耳の私は、R・シュトラウス作曲「英雄の生涯」第四楽章を聴いて、それでも戦う演奏家たちに思いをはせようかと思います。正直、ああなってしまうくらいなら、これ以上耳は育たなくてもいいかな。




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