人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

二女の覚悟

先週のヴァイオリン発表会で、二女はソロの曲でミスを連発、長女とのデュオでは演奏を途中で止めてしまうという大失態を犯しました。妻はショックだったらしく、ずっと眉間にしわを寄せていました。私はそこまで大きなショックは受けませんでしたが、やはり残念な気持ちでいっぱいです。

 

「演奏を人に聴いてもらう」ことと「人に聴いてもらえる演奏をすること」には雲泥の開きがあります。二女は前者はわかっていても、後者はわかっていませんでした。

 

ヴァイオリンのお教室の発表会に出席したことがある人はおわかりだと思いますが、練習不足のヴァイオリンを聴くことほど苦痛なものはありません。音程がひどい(私はこれを音痴と呼んでいます)、伴奏にあわない、曲自体を自分のものにしていない、などなど。どれも本当にめまいがするほど気分が悪くなるものです。

 

ご自身のお子さんがつたない手でキコキコと鳴らす姿は、そりゃかわいいですよ。当然です。どんな演奏だろうと手放しで拍手して終わったら「がんばったね~」と抱きしめてやりたくなるでしょう。でも、まったく関係の無いその他のご家族からすれば、それは雑音でしかないことが大半なのです。だからこそ、その他の方にも「今のはいい演奏だったね」と聴いてもらえるよう、練習に励むのが楽器の道だと思うのです。少なくとも我が家はそういう考え方でこれまで練習させてきました。

 

長女は発表会やコンクールでミスした箇所を本当によく覚えていて、帰り道や翌日などになぜできなかったのかを振り返っています。演奏に対する責任感が習い事の域ではないのです。

 

ミスだらけの演奏のあと、二女はケロッと「ああ楽しかった」といいました。それを妻から伝え聞いたとき、「ああ、二女の意識はまだ習い事のレベルなんだな」と納得したものです。別にそれが悪いことだとは思いませんが、同じように練習を見て、同じように育ててきたつもりなのに、どうして長女と差が生まれてしまったのか、私にはよくわかりません。

 

演奏能力自体は高い子だと思っています。音程はしっかりしているし音量も出ています。ただ、剣道は志の無い刀はただの凶器であることを教えます。手先だけが器用な弾き手ではなく、演奏者の意識を植え付けることも今後課題になりそうです。




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