人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

練習時間の濃さ

今は夏休み。

 

朝起きてから夜寝るまでの時間すべてを使うことが出来ます。

 

コンクールの上位常連者は、一日の練習に『八時間』を当てるという話をよく聞きます。この八時間という数字は実はすごいことで、幼稚園~小学生の睡眠時間を九時間とした場合、

 

睡眠 九時間

練習 八時間

 

となりますので、残りはたったの七時間。それを適当に振り分けると

 

食事 二時間(三食)

休憩 二時間(トータル)

勉強 二時間

その他 一時間

 

となります。小さな子たちの体力ってこんな長時間の練習でも、もつものですかね? 集中力や気力の面で比較はできるかもしれませんが、体力はそこまで大差ない年齢のはず。

 

長女はコンクールの仕上げの最終一週間、毎日四時間くらい弾き続けたことがあります。悔いの残る演奏にはなってしまいましたが、一応結果もついてきましたし、あのときの彼女の限界にチャレンジした出来事でもありました。終わったあとの長女は、少しホッとしたような、気の抜けたような日を数日過ごしていた気がします。

 

八時間って現実的なんですか? 正直あまりそうは思えません。一日をうまく割り振って、飽きないように、バラエティにとんだ日常になるように工夫すると、どうしても一日の演奏時間はヴァイオリン三時間、ピアノ一時間くらいが限界です。これ以上求めるならば、本人たちの前向きな気持ちを削ってでも親がゴリ押ししなければならないでしょう。

 

十分な余暇を挟むほうがいい気がするんです。『アナと雪の女王』のブルーレイが今の彼女たちのブームなのですが、昨日は『Let it go』を耳コピしてピアノで弾いてみたり、まだできもしないスピッカートを遊びでやってみたり、大して完成していない曲を好き勝手に弾いてみたり。余暇で得た何かのおかげか、練習時に遊びのアイディアが沸いてくるときがあるみたいなんですよね。こういう自発的な遊びをするかしないかが、その子の適正に関連してくるような気がしています。

 

そのためにも、周囲から情報を仕入れる『余暇』が必要だと思うんだけどなあ。

 

楽器弾きは一種の病気のように弾きこまないといけない時期があるのはわかっていますが、その行為はやはり自発的な意志からであってほしいと願っています。そんな私は甘いのかわかってないのか。まだ七歳と五歳の親なのでした。

 

ではまた。




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