人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

言葉のセンス

「~する」「~できる」という言葉はとてもラクチンです。

 

突然、結論から入ってしまいました。こんにちは、きゅうじうです。

 

「代詞*1を減らすと文は締まる」という執筆技術をご存知でしょうか。ブログを書いてらっしゃる方であれば、みなさん比較的考えなくてもそれができています。

 

「それが原因か。だからあれがこうなってしまったんだ」

 

こんな言い方、日常生活でたまにしていませんか? 「それ」「あれ」「こう」「こと」と代詞のオンパレード。会話なら別にかまいませんが、文章で読むと「???」となります。

 

「駒の位置がずれていたのが原因か。だからE線の音が合いにくかったんだ」

「右手に力が入っていたのが原因か。だから高音で雑な音になってしまうんだ」

「指番号の読み間違いが原因か。だからポジション移動がしにくかったんだ」

 

と言われれば何の話かはわかりますが*2、すべてを代詞にすると「それがあれでこれなんだ」となってしまうわけです。

 

長女が夏休みの絵日記を書いていました。どうやら先日お遊びプールにつれていったときの思い出を書いているようです。

 

みずでっぽうができてよかったです。

 

……ん、ちょっとこの文章はどうなんだろう、と眉をひそめた私は会話をして掘り下げていくことをしてみました。

 

「みずでっぽうって、プールで遊んだときに滑り台の横にあったやつだよね。あれって台にくっついた大きなヤツだよ。みずでっぽうって書いたら、これを読んだ人は手で持つモノを思い浮かべるんじゃないかな」

「……あ、そうだね」

 

おおきいみずでっぽうができてよかったです。

 

少しだけ情景が目に浮かぶようになりました。でも、まだまだです。

「みずでっぽうができると、何がよかったんだろう」

「うーん」

「よかったのは何? みずでっぽうを使えたこと?」

「ううん、ちがう。あ、楽しかったの!」

 

おおきいみずでっぽうができてたのしかったです。

 

ずいぶんと形容詞に具体性が増して彩豊かになりました。でも最後。「これ」「それ」「あれ」「どれ」の代名詞よりも大人ですらまともに使えていない、代動助詞の代表格「できる」がまだ鎮座ましましております。

 

「なにが『できた』のかな」

「みずでっぽう」

「できる、って何?」

「えっとね、水で撃つの」

「そうだね。水で撃つことがたのしかったの?」

「水でー、撃ってー、あ、パパに当てたの!」

「そうだねー! でもそれを書くと、文字枠がいっぱいになっちゃうね。もっと簡単な言葉で全部を言いあわらす言葉を使おうよ」

「えー。うーん。うーん。うーん……」

 

すると対面でお絵かきにいそしんでいた二女がサラッと。

 

「遊ぶ、じゃないの?」

 

すげえ。国語のセンスあるな。そしておいしいところを全部かっさらっていったな。なんだか末恐ろしさすら感じます。でも一方の長女はというと、

 

「あ、そっかー、おおきいみずでっぽうであそべてたのしかったです、でいいのかな」

 

と、のほほん。なんだろうな、このデコボコ姉妹。

 

ではまた。




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*1:代詞とは本来中国語で使う文法ですが、代名詞、代動詞を含めたすべての総称としてここでは使います。

*2:全部ヴァイオリン関連ですが……。