人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

敬老の日

ジジババは娘たちと話せることが何よりも幸せ。

 

九月十五日の敬老の日に、私から電話して何か話をしてもありがたがられることはないだろうと思い、長女に持たせている携帯電話から両家に電話させました。電話口の向こうからはデレッデレの甘い声が響き、長女も二女もここぞとばかりに「今度おとまりにいきたいなー」とか「ばあばのご飯がたべたいなー」と甘える始末。

 

こりゃ両家ともたまらなかったようで。

 

私に代わるように孫に伝えた父は、開口一番、

 

「今日はなんであの子たち電話してきたんだ」

 

とやけに嬉しそう。

 

「いや、敬老の日だからさ」

 

すると、

 

「……うちには若者しかいないのですが。何かのお間違いではございませんでしょうか」

 

と。はいはい、そうですね、と流しておきましたが、それでも嬉しそうな声でした。昔は厳格な父だったんですけどね。孫は強し。今は長女と二女の成長が日々の生きる糧と言ってはばからないので、ほんと長生きしてください、と伝えておきました。すると、

 

「ですから、うちには若者しか」

 

「わかった。わかった。じゃあね」

 

……この子(私)にしてこの親あり、な一幕でした。

 

ではまた。




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