先生とのお別れ
長女、お師匠との最後のレッスンに臨みました。
二女はこれからもお世話になるとはいえ、やはり今まで二人三脚でやってきた先生です。いろいろと思うところもあったことでしょう。レッスンは普段どおりに進み、遣り残しの部分も含めて「新しい先生によくよく見てもらって、上手になってね!」と言われてお別れいたしました。
長女は、お師匠を扉の向こうに見送ったあと、玄関でしゃがみこんで号泣していました。
妻がお礼を含めたメールをお師匠に送ったとき、そのことも併せて書くと、お師匠も同じように寂しかった様子で。しかし小学校を卒業した子を見守る担任の気持ちで、その後の成長を応援します、と。
「一人の素晴らしい演奏家の裏では、多くの先生方が力を尽くしています。長女ちゃんの最初の一歩に何か伝えられたことは、自分にとっても財産です」
それから、必要であればいつでも下見をします、とまでおっしゃってくださいました。ボウイングやフィンガリングのミスは少ないほうがレッスンの進みも早まるだろう、と。こういう方に育てていただいたんだなあ、と思うと親としても感慨深いものがあります。
先生はヴァイオリンが上手だから偉いのではないのだと思います。
敬われて当然だから偉いのではないのだと思います。
奏者を育てるために必要な技術と、尊敬に値する人間力をお持ちだから、自然とこちらも敬うのです。
私の両親にはしつこいくらいに言われました。「今の先生に失礼のないように」と。でも、お師匠に対して失礼に値することは、世間体を違えることではありません。そして、先生を替えたことでも、ヴァイオリンを辞めることでもありません。ましてや、先生を替える手順の順番なんて論外。私の娘たちはそんなくだらないことをとやかく言う人に師事した覚えはありません。
失礼に値することはただひとつ。
長女がヴァイオリンに愛情を向けなくなること。
今、長女ができる恩返しは、練習すること。上手くなること。逆に言えばそれしかできないのです。
泣きじゃくる長女にそう伝えると、「わかってる」とうなずきました。
蛇足ついでに。
親なんて、子の泥を被るくらいしかできないんですよ。
ではまた。