子に教えるということ
おかげさまをもちまして、投稿100回目を迎えました。もともと願掛けのつもりで始めたブログでしたが、たくさんの方に読んでいただき、たくさんの方にコメントいただき、そのおかげもあって、三ヶ月強サボらず書き続けることができました。本当にありがたい限りです。
いや、書きますけどね、今後も。続々と。無駄な記事を。
さて、今日のお話は、子に対する親の態度です。
よく幼少期に楽器をやっている子は「どうせ親がやらせたんでしょ」とか「親が『こういいなさい』ってしつけてるんでしょ」とか言われがちです。わかります。わかりますよ。何せ自分が小学生のころ習っていた楽器は、親の「やってみる?」という期待のこもった眼差しに、当時ピュアだった幼心が応えたくて「うん!」と言ったことで始まったわけですから。
小学六年生でやめました。練習、まったくしませんでした。ですが、このときの体験があったおかげで音楽を好きになりました。
本格的に興味をもったのは高校生のとき。バンドをはじめてみたものの、基礎知識が足りないので最初はとても苦労しました。ああ、音楽の勉強ってこういうときに役立つのか、と後悔しても後の祭り。たいした技術もなく、その後技術を伸ばすこともなく、素人に毛が生えた程度の演奏を楽しんできました。実際に楽しかったです。新しいCDやスコアを買うときのワクワク感、スタジオに入る高揚、仲間内でバカな音楽を作ってCDにして配った日々……。
でも、やはり弾けたほうが楽しい。その後悔はずっとつきまとっています。
結婚し、子が産まれて大きくなるにつれ、彼女に何か習い事を、と思ったのは自然の流れでした。でもまさか弦楽器にいくとは思わず、「まあいいよ、やらせてみようよ」と軽い気持ちではじめさせたものです。
やり始めると親が夢中になってきました。面白くて面白くて仕方ありませんでした。子がスポンジのように吸収していく姿を見ているのも快感でした。
多くの親御さんたちが通ってきたであろう、加熱気味の指導もしました。私だけでなく妻もそうでした。「怒らないで!」「怒鳴るな!」という喧嘩もありましたが、それよりも「この教え方は間違っている!」「いやこっちの指導法のほうがただしい!」という壮絶で頭の悪い喧嘩を何度も繰り返しました。
でもそのたびに冷静に戻り、夫婦して「なんで私たち自身は楽器で大したところまで行けなかったのかを知っている。それは、未来の見えない親の圧迫指導を受けてきたからだ」「もっと楽しまなきゃ。もっと子の心を観察しなきゃ。もっと成長を喜ばなきゃ。もっと笑顔にならなきゃ。もっと未来をみせなきゃ。もっとわかりやすく教える工夫をしなきゃ。もっと言葉を尽くさなきゃ」と何度も何度も反省をしてきました。そしていくつか暗黙のルールが出来てきました。
・自分の常識を押し付けない
・「自分ができることは子もできる」と思わない
・下手とののしらない
・納得させるために言葉を尽くす
・出来たことはいっしょに喜ぶ
・復習を最適化する作業は親の務め
・個々の練習の先に何があるのかを明確に提示する
・子の意見を否定せずにまずは聞く姿勢を見せる
そして、最も大事なこと。
・音楽をいっしょに楽しむ
とにかくこれを意識しだしてからいろいろと変わりました。いきなりすべてができるようになったわけではありません。徐々に、日々少しずつ、子によくない影響を与えるものをひとつ減らし、いい影響を与えるものをひとつ加え、定着化させ、当たり前にする。ほんとうに長い時間をかけて少しずつ前進しているのです。おかげで喧嘩の回数も激減しました。最近では子が萎縮することも無いと思います。
せっかく「楽しいね!」と楽器を弾く姿を見せてくれるのですから、「うまくなったらもっと楽しいんだよ」「うまくなるには練習しかないんだよ」「パパはそうしなかったことを後悔しているよ」と会話を惜しまないようにしたい。
「ヴァイオリンがやりたい」と言ったときのピュアな心を失わせないようにしてやりたいと、100回目を節目として、再度心に刻みなおそうと思います。
ではまた。