人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

小学校というところ

小学校という場は不思議なところです。自分が通っていたときは何の不思議も何の疑問も感じずに日々を過ごしていましたが、子が通うようになると、いかに実社会から乖離した世界かということを実感しますね。

 

我が家は音楽という親子の共通言語がありますから、濃密な会話と時間を過ごしているほうでしょう。しかし普通は親も「学校という小さな社会から生き方を吸収してくるべき」とある程度は放任します。そもそも世の中ではそちらのほうが「正しい」とされています。自立した精神を育てる。トラブルに直面した際の問題解決能力を整える。そういった効果を望むという意味合いでしょう。

 

子たち自身がつくりあげた小さな社会に、彼らがどう従い、どう反発し、どうコントロールしていくのか、というのは確かにその子の生きる力を養う大変過酷な試練の場となるでしょう。しかしここでもし「人の意見に従っていれば自分はトラブルに巻き込まれない」「ケンカは見過ごしたほうが自分に得なことが多い」「強者につけば目立たず平安」ということを学んでしまった場合、わずか7歳にしてその子のその後の人生は卑小な人生観を基軸に生きていくことになります。

 

だから、子の精神を育てたいのであれば、まずは大人の手助けが必要になるのです。

 

親以外に子の人生を大きく左右するのは、恐ろしいことに学校の担任の人格いかんになります。そして担任が気に食わなかった場合、親までが担任の非を責めることに荷担した学級崩壊につながります。ですから当然投げっぱなしは絶対によくない。かといって過干渉は子の判断力を損なう。教育というのはなかなか難しいものです。

 

妻が任意の二者面談に赴きました。遅くまで楽器を練習させたり、親が過大に干渉していることで、学校生活に支障が出ていないかを聞きたい、という目的もありましたが、主に担任の教育方針と学校の教育方針を詳しく聞くのが真の目的でした。

 

あれだけ親が過干渉なのにも関わらず、長女の様子は

 

「とても元気で明るくて友人も多い。勉強態度も模範的です」

 

とのこと。話半分に聞いてはいますが、鬱屈した感じはないようでホッとしました。そして教育方針をよくよく聞いてみると、どうやらこの先生、近年まれにみる熱血ぶり。最新の指導法を積極的に取り入れ、その他のクラスからはかなり浮いているようです。それでも担任はお若いにも関わらず周囲と上手にあわせながら軋轢を生まないようにしている。特に子の伸びやかな成長を第一に考えていらっしゃる様子。

 

ああ、この先生、「当たり」だな。

 

長女は彼をとても信頼していて、心底大好き。妻もかなり安心をもらって帰ってきたようです。とはいえ、この担任も来年の三月まで。四月からは新担任のもとにうつります。

 

その都度「この先生は、当たり? はずれ?」と考えなければならない。それが現代の教育現場です。

 

不変なのは家族のみ。子を正しく導くには親が常に関心を払うことが大事なのだな、と空恐ろしさと責任の大きさを感じます。当然、親も完璧ではないですからね。果たして正しく導けているのやら。

 

年の暮れに夫婦で考え込むのでした。

 

ではまた。



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