人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

ピアノはなぜ好調なのか

長女も二女もピアノはとても好調です。特に二女は何をどう弾けばいいのか、そしてどう練習すればうまくなるのかをなんとなくわかっている様子で、ヴァイオリンに比べればかなり自主的に特訓します。

 

さて、そんなふたりのピアノのレッスンですが。

 

二女さんはトンプソンもカバレフスキもいただいた曲は合格! ブルグミュラーは翌週に仕上げとなりました。

 

長女さんはバッハをかなり丁寧に見ていただき、ソナチネはディアベルリの第一楽章を「曲の構成」という視点で解析してくださいました。時間が短くて第二楽章と第三楽章は見てもらえず。楽典の宿題も後日ということに。

 

そもそも別の時間枠でソルフェージュを教えていただいていて、しかもそちらの進度も結構早いので、長女さんに必要な時間がどんどん増えているという状況なのです。忙しければ忙しいほど燃えるタイプの長女にはとてもいい環境。ヴァイオリンを専科にすると決めていることをわかってくださっている先生なので、ソリストに向けて必要な勉強をこの時期からしっかりと教えてくださっているというのは、本当にありがたいことです。

 

二女は没頭タイプなので、時間をかけてゆっくりとやればかなりモノになる人です。そして一人でほっといてもピアノに関してはまったく嫌がることなくずーっと弾いています。繰り返し繰り返し、いつのまにか二時間を越えて練習しているなんてこともあります。気分が乗らないときは「喉がかわいた」としょっちゅう水を飲みにきますが。

 

以前からふたりはピアノの進度が好調で、ヴァイオリンは紆余曲折だなあと思っていたのですが、前日、あまりにもタイミングよくこんな記事がアップされていて、思わずうなずきながら読みふけってしまいました。

 


ヴァイオリンとピアノの「二刀流」について | ヴァイオリニア

 

一部引用します。

ピアノの場合は指導者も第二楽器だという頭がありますから、テクニックにしても解釈にしても徹底的には詰めません。

平たく言えば、コテンパンにボロクソにはけなされない、ということです。

これに対して第一楽器たるヴァイオリンの場合、「音高受験も視野に入れたらこの時点でここまでは弾けなくては」という思いがありますから、指導者のボロカス度合いには相当熱が入ってきます。

 

まあ要するにそういうことなんですよね。我が家でも指導に熱がこもるのはどうしてもヴァイオリンになります。なぜなら自分もわからない世界だから、どこで手加減すればいいのかわからないからです。

 

これで付いてこられない子は、やはり専門の道には向いていないと見るべきなんだろうなあ。残酷のようですが、そういうことなのだと諦めなければならないことも、もしかしたらあるのかもしれませんね。そのとき感じるのは寂寥なのか、それとも安堵なのか。まったく想像がつきません。

 

ではまた。



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