楽器にまつわるアレコレ
長女のヴァイオリンが戻ってきて最初に行ったのは、代替の子を貸してくださった楽器商の方にお電話することでした。この方とお話しているといつまでも裏話を聞いていたくなってしまうので困ります。今回はお会いしても30分くらいで切り上げようと決意し、無事その思いを反映させて1時間くらいで(意志が弱い)会談終了。
ところが。代替の子をお返ししたとたん、先生から連絡が入りまして。
「実は、あの楽器の調整、私は8割くらいしか納得していないんですよ」
えー。どういうことでしょうか……。とお聞きしてみると、どうやらこういうことらしい。
いくつか調整不足の面に納得がいっておらず、再度調整して我々に費用を負担させるのもしのびなく「まあそれでもほかの楽器よりは鳴るからいいか」と思っていたのだけれど、やはり楽器のポテンシャルは最大にまで引き上げたい。工房に「こういう部分が気に食わないのだが」と相談したら「なら無料で直しますよ」と返事を受けた。
「で、どうします? 直します? 直しますよね?」
はい直します! 再度この子はお泊まり確定。しかも先生は「どうせ遅くまで練習しているんでしょ?」とお気遣いくださり、夜中に私が持ち込み、翌日の夕方に引き取りに行けるように図ってくださるとか。ありがたやありがたや。
ついでに楽器についての印象をお話してみました。もともと長女のヴァイオリンは、ヴォォォンとうなるような強い音を出す子で、何も知らない私たち親子はそれが「鳴る」ということだと思っていました。すると、師曰く、
「いい楽器になればなるほど、おとなしい音がします。そしておとなしい音というのは遠くにまで響く、いわば『鳴る』楽器の証拠なのです。だから調整後に物足りないと感じたのだとしたら、それは雑味が抜けてとても“鳴りだした”と思ってください」
言われてみれば力を入れなくても大きな音が鳴るようになっています。お師匠(長女の元ヴァイオリンの先生、二女の現先生)の教えもあって、弓の張りをずいぶんと緩めたとたん、温かみのある懐深い音になって気がします。でも私たち両親は「なんだか物足りない」と思っていたのも事実。ディストーションのかかったギターに耳が慣れていて、そういう音のほうが「強くていい音」だと思ってしまっていたのかもしれませんね。
いやはや、未知のヴァイオリン道、知らないことがたくさんです。
ではまた。