人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

子の意思、親の意志

昨晩はエリザベート王妃国際音楽コンクールのセミファイナル、毛利さんの演奏でしたね。モーツアルト・ヴァイオリン協奏曲5番でした。ご本人も納得のいかない顔つきでしたが、聴いているこちらも「あれ?」という感じでした。みなさんはどう感じましたか? 後半戦に期待です。

 

……さて。今日の話は私の育児における愚痴みたいなものです。

 

成長の一環だとわかっていても、子が停滞している様子を見るのは、親としてつらいものがあります。今までであれば比較的素直に練習を始め、できると素直に喜び、できないと素直に悔しがっていたのですが、最近の長女は喜び方も悔しがり方も表現が複雑になってきていて、何を考えているのかがよくわからなくなってきています。

 

親の心がくじけそうになることも多々ありますが、そこはかわいいわが子。笑顔や寝顔を見れば元気をもらえるというもの。そしてまた毒づかれたり嘘をつかれたり反抗されたりしてイラっときて……の繰り返し。子はただ一生懸命生きているだけ。親はただ自分の理想を伝えたいだけ。なのに衝突して、うなだれ、反省しながら毎日なんとかやり過ごしている。せめて練習くらいは自分からやってくれよ! もう怒りたくないよ!

 

同じような年頃の子を持つ親御さんは、多かれ少なかれ似たような感じではないでしょうか。

 

これは子育ての永遠のテーマだと思うのですが、

 

●自分からやり出さないことは所詮そこまでにしか成長しない

 

●子は低きに流れやすいのだから親が尻を押してやらないと登らない

 

いつの時代もこの両者の言い分がせめぎ合っているような気がします。子にまったくやる気が無くて逃げ回っているような習い事をさせ続けるのは正直いかがなものかと思いますが、「ときおり」自分からやり出し、「だいたい」低きに流れる傾向の子はどうすりゃいいんですかね。その悩みが深いからこそ、年頃の子を持つ親はみなこの二つの意見に分かれてあーでもないこーでもないと言うのではないかと思います。

 

上記の最高形を想定してみましょう。子がちょっと練習をサボった。「やる気が無いのね、やめなさい」と取り上げた。そうしたらぽっかり空いた時間で自分から本を読み始めた。親のこちらも無言で次々と本を与えていくと、なんと英語の原書まで読み始める。言葉があふれるように出てきて自分で物語を書くように。10代で小説家デビュー、いちやく時の人に!

 

……んなわけあるかい。だいぶドリーマーです。

 

では下の主張を最低形にしてみます。毎日毎日やる気はあるけどサボリたがるのでしょっちゅう尻を叩いて練習させる。練習はするから少しずつではあるが成果がでてうまくなっていく。子がうまくなっていくと親もそれ以下のレベルが許せなくなり、今度は練習しないことではなく、うまくならないことが許せなくなってくる。厳しい訓練の末、子は家出。半狂乱になった親はゲームセンター(古っ)でみつけた子を引きずり戻し、半ば監禁状態で練習させる。子も親も心を病み、それに気づかない二人は静かに業界から消えていく。

 

……うわあ。自分で書いていてイヤになる!

 

かなり極端に書きましたがふたつの例を引き合いに出すまでもなく、この手の話に絶対的に欠けている現象があります。それは

 

「子は毎日、ほんの少しずつ成長・変化している」こと。

 

7歳5ヶ月で有効だった手が、7歳6ヶ月では通用しなくなる。それが子の成長でありダイナミズムです。親は経験からしかモノが言えませんが、子は成長ホルモンでどうにでも変化していきます。千変万化、縦横無尽。暴力性が出たり、落ち着きの無さが出たり、虚言癖が出たり。かと思うと、執着心が生まれ、語彙力が伸び、他者との関係構築力が育ち。きっと何事にも振れ幅を大きくとることで、自分にとっての「ちょうどいいところ」を探しているんでしょうね。傍で見ていてそう感じます。

 

そう考えたら、けっこうショックなことに気づきました。

 

努力しなければならないのは、実は子ではなく、親のほうなのではないでしょうか!? 練習しないのを怒る。忘れ物をしたことに怒る、準備や支度が遅いのを怒る、怠け心を責める。これはけっして努力ではない。理性的に「しつけている」ように見えるただの感情。実は翻弄されてイライラし、思い通りにならないと嘆いているだけです。適切な対処法を「教える」までして、はじめて親の努力なんだなあ、と思うのです。

 

これを実現するためには、親にかなりの労力がかかります。本来はコミュニティやその他家族が手助けしてくれた部分なんですけどね。時代の差異を嘆いても仕方ないので、自分たちでできるところまでやるしかないのでしょう。最初はなかなか難しいと思うのですが、今後は「叱る」のではなく「教える」ことに目線を置いてみたい。

 

子とは突然ピーキーな動きをするもの。社会的に危険が伴うときは体を張って守らなければなりませんが、それ以外のときはもう少し根気よく子の激しい動きについていきたいな。……親も人の子なので、心の容量が許す限りではありますが。

 

なんて思う今日この頃でした。

 

理想をかなえるのはだいぶ大変なことですけどね……
だからこそ、皆で励ましあっていこうではありませんか!……なんてね

 

ではまた。