人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

ルーチン化する習い事

習い事というのは日々の習慣づけと感受性の向上にとてもよい影響があると勝手に思っています。なので、細かい部分は違えども、やらなければならないことは決まっているのが我が家の毎日です。

 

宿題、ワーク、ピアノ、ヴァイオリンという順番。やらなければならないもの、時間的制約のあるものから済ませていく感じです。

 

一生懸命になってさらった部分がその日のうちにできないこともある。でも翌日になるとなぜかできるようになっていることがあることを、子供たちはもう知っています。どんなに毎日同じ練習をしているように見えても、日々ちょっとずつテーマは変わっていくもの。それはくっついている親にしかわかりません。

 

基本方針として、いい加減に弾いたり、前日やったことをムダにするような練習をしたときに、親は口を出して注意します。たいていいい加減に弾いて、前日の練習をフイにする弾き方をするため、べったりついていないと大変な時間のロスになります。

 

とまあ常にこんな感じですので、なかなか大きな変化がありません。

 

オクターブのかけあがりが今日はキレイに決まった、なぜかフラジオが鳴らなくなった、指使いを教えて昨日できたのに今日はまた別の弾き方をしている、小さい体のせいでなかなかフォルテが出ない、などなど、変化や気づきはありますが、毎日ブログ書くにはちょっとボリュームがありません。

 

そもそもパッパッと次の曲をいただけるような、簡単な曲は終わっちゃったんですよね。ピアノもヴァイオリンも。だから毎日同じ曲を練習している。で、少しずつテーマが変わる。劇的な変化は無い。

 

今まではネタに溢れていた楽器道ですが、ここにきて子たちが修験道のように心頭滅却しているため、ネタに困ることが多いです。が、きっと、子らにとってはいいことなのだと思います。

 

日によって演奏の質も違うんですよね
なかなか安定した奏法が身についていないのでしょう

 

ではまた。