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人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

単語量と読書量の関係に似た悩み

姉妹ともに一日だらだらと練習の日でした。午後から動物園に行くという約束をし、彼女たちはそれを励みに練習にいそしみます。そのとき演奏を聴きながら頭のかたすみで考えていたことを書きたいと思います。

 

長女はこれから来年1月まで毎月何かしら本番があります。コンクールが続くのは緊張感が持続していい、という面もありますが、反対に多彩な曲に触れる機会が減る、というデメリットもあります。どちらかに比重をかければどちらかが弱まる、という至極当たり前のこと。

 

どちらが先のほうがいいんでしょうね。テクニックを鍛えれば音楽的語彙は増えるので、新しい曲も短い時間で形にできるようになっていくでしょう。しかし音楽的素養としての感覚は、曲をたくさんこなしている人にはかないません。

 

英会話でいうなら、長女は今、単語を片っ端から丸暗記している感じですね。単語をたくさん覚えてからたくさん読書すればいい、だから、難しい単語がたくさん載っているこの本をまずは読破しよう、というのと似ています。「単語なんて、簡単な本をたくさん読みながら覚えればいいのに」という意見もあるでしょうし、それはそれで同等の説得力を持つので、なんとも悩ましいところです。

 

長女は現在曲をブラッシュアップさせる段階にいます。普段のレッスンであれば「はい、とてもよくなったね、この曲は合格」と言っていただけるようなクオリティでも、コンクール中は先生は決して「合格」と言ってくださらない。にも関わらず長女は、いまひとつ気合の入らない演奏をしたり、注意を受けた部分を忘れて手癖で弾いたりしています。一度最後まで弾けるようになった曲を、もっと美しく、もっとシャープに、もっと心に届くクオリティに磨き上げていく、という作業は、長女の性格上とても根気と気力を使わないとなかなかできないこと。今はこういう緊張の連続はとてもいいことなのかもしれない、とも思えてきます。

 

しばらく考えて、結局ゴールは一緒なんだよな、という結論にいたり、このことはあまり考えないようにしました。

  

でも練習はちゃんとやろうね
そろそろ親が仕向けるのをやめたいところなのですが……

 

ではまた。