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人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

直前レッスン

今回初参加のコンクールに向けて、最後のレッスンがありました。

 

毎回先生が注意なさることは一緒で、そこが直らないとそうそう上位は狙えないだろうと思っていたぶん、意識が修正に向かわない長女に若干のいらだちを覚えます。こんな調子で大丈夫なのかな……。

 

そんなわけで、直前レッスンでも注意点は同じでした。

 

「よく弾けてる。けどこれじゃダメ」

 

仏造って魂入れず。この一言に尽きます。

 

何度も何度も「ここがわからない」「ここに気持ちが見えない」「ここがつまらない」と弾きなおしさせられ、最終的には「うん、そう、そうやって弾くの」と先生もうなずかれます。

 

が。

 

こんなこと、もう何度も何度もやってきている。結局、長女のなかで音楽が鳴っていないせいで、「よく弾けている」レベルでとどまっている。それを突き抜ける演奏をしなさいと、すでに数ヶ月言われ続けている。

 

これは親もずっと気にしていて、「この子の中に完成形が無いからこういう演奏になってしまうんだ」とはわかっているものの、ひたすら練習させるしかすべを思いつかず。

 

親の応用不足です。

 

理想を言えば

  1. 長女が自分の音楽を身体の中に鳴らすことができる
  2. 長女が完成形の音楽を自分でつかみ取る
  3. 長女が完成形の音楽を先生のレッスンの中でつかみ取る
  4. 親が完成形の音楽に近いものを提示し習得させる
  5. 長女が先生のレッスンで教えていただいたことをまるまるコピーする

こんな順番で何かしら対策をとるべきなのでしょう。しかし、残念なことにどれもできませんでした。

 

ここでいう完成形とは、あくまでも長女の人生の中で掴み取った最終形という意味であって、唯一無二の正解という意味ではありません。音楽に少しでも携わる方がこんな単純なことを読み違えるとは思えませんが、言葉の定義があいまいなので誤解を恐れて念のため。

 

結果はなるようにしかなりません。でも結果に向かう過程こそを最も重視してきた我が家としては、ここをクリアできなかったことがとても悔やまれます。

 

泣いても笑っても本番は目の前です。

 

「考えて練習する」ことがどれほど難しいかを体感しました
頭が悪い親で本当にゴメンと思ってしまう……

 

ではまた。