人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

同じ間違いをしないために

計算ミスとか、名前を書き忘れて0点とか、「右」という漢字の書き順は縦からだったか横からだったか迷うとか、人にはいろいろと小さなミスや物忘れをします。全部すべてを正確に、ひとつももらすことなく、というのは理想的ではありますが、そこまで完璧でありつづけるのも難しいこと。

 

だから、一度や二度間違うくらいのことは仕方ないレベルだと思うのです。

 

が、しかし。

 

曲を練習しているときに、なぜか同じ場所で同じように弾いてしまい、毎度「そこは違うって教えてもらったでしょ!」と同じ文句を言うということが最近とても多い。毎回毎回指摘するこちらもとてもストレスを感じます。

 

練習中は「なんで!?」と苛立ちしか覚えないのですが、すんなり直るところは直るんですよね。では、いったい何が違うのか。

 

よく観察してみると、「自分で納得していない部分は直すのに時間がかかる」のだと思います。たとえば「弓をもっと立てて」という注意したとします。でも自分では立てているつもり、または、ほかの事に意識を集中させている、その結果弓がおろそかになる。

 

演奏中に「そこはピアノ!」とか「もっと鳴らすって教わった!」と指摘することがあった場合も同じことが言えるのではないかと考えました。つまり「頭の中でピアノで音楽が鳴っていない」「頭の中で指を動かすこと以外に意識が向いていない」。

 

それこそ長女の先生が一番嫌う演奏です。もっと曲について語り合ってからじゃないといけないのではないか。難しいパッセージばかりに意識を向け続けるのは教育上よろしくないのではないか。

 

そんなことを思った日常の練習でした。

 

親がそう思ったからといって子がすぐに反応するようなものでもなく
ただ言い続けていないと意識を植え付けることもできないので、娘たちと根くらべです

 

ではまた。