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人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

芸事とは迷惑をかけること

芸事というのは伝承文化であり、伝承した先にはよりソリッドになった姿形が残っていく。現在に至るまでに起こった数十年~数百年の紆余曲折などぶっ飛ばして、いきなり鋭くとがった最終形をつきつけられるのだから後学の者はたまったものではありません。

 

歴史をワープした何かを学ぶのだから、教える側も教わる側もどこか浮き世離れした狂気を見せることがあり、あとから振り返ると「そのとき歴史が動いた」のではないかと思うような分岐点が起こっていた、ということは往々にしてあるものなのでしょう。音楽家の伝記を読むと、いつも上記のことを考えてしまいます。

 

まあ、いつの時代でも周囲の巻き込まれた人間にとってはたまったものではありませんが。

 

要は人に迷惑をかけるのが芸なんですよね。迷惑をかけることを恐れていたら続けられないとも言い換えられるでしょうか。ですからものすごく乱暴な言い方をすると、社会に迷惑をかけた人が芸事で身をなしている。その中でも大成する人というのは、迷惑をかけていることをよくよく自覚し、かつ周囲に注意深く頭を垂れているような気がします。

 

もしかしたら彼らのホスピタリティの根源ってこのへんにあるのかもしれない。

 

だから、多くの人たちに聴いてもらえ人々に感動を与えるような音楽家たちは、最初は普遍的な日常を崩さずに接してくるのに、ときおり「仲間ではないか」と思った相手には控えめにチラッと狂気を見せてくる。その姿に反応してくれた人は、遠慮無く迷惑をかけあえる同志なのでしょう。

 

逆にそういう偉大なる演奏家を育てようとしている人は、弟子に対して本気になった瞬間から隠すこと無く狂気を見せつけてくるような気がします。お互い迷惑なのは承知の上だ、だがそれは成功してから人生をかけて償えばいい。だから今は狂うべきなのだ。

 

そういう日が来るんじゃなかろうか、という予感を感じさせるような出来事がここ最近いくつもあったので、覚え書き程度に書き残しておこうと思います。

 

本日はとにかくわかりづらい記事だったかもしれません
ただ、なんとなく「わかる、かも」と思っていただけたら幸いです

 

ではまた。