人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

間違えたテスト

三学期が終わって大量の荷物とともに帰宅した姉妹。そのなかには最後に大量にこなしたテストもありました。100点のものもあれば、イージーミスのものもある。完全に勘違いした回答や、忘れてしまっていた漢字もある。

 

それを姉妹して「これは○点でしょ~。これは○点」と点数のみを読み上げて手渡してきたのを見て、これは、ひと言釘をさしておかなければならないと思いました。

 

念のため、テストは何のためにするの? と質問した私に、「成績をつけるため」といった意味の答えを返してきた姉妹。やはりそう思ってしまっている。二女など、悪い成績のテストを見せたがらない。これはよくない。

 

「学校のテストで悪い点数を取ってきても、別に叱ったりしないよ。でも、まるを貰ったところは見なくていいから、間違えたところをちゃんと見直してね」

 

はーい、と生返事の姉妹。これはわかっていない証拠です。

 

「テストで間違っていたら『よかった!』って思えば良いよ。『私のわからないところがわかった、よかったー』って。そうすれば、次はもう間違わないように練習しておけば良いでしょ? 楽器だってそう思えば良い。つっかえたり外したり、音程がなかなかちゃんととれなかった演奏をしたときは、『ああ、私はここが苦手なんだ。わかってよかった』って思えば良いんだよ」

 

そう言ったら、ふたりとも「そっかー!」と目を輝かせます。

 

練習とは、本番を楽しむための準備である。

 

世界的サックス奏者・渡辺貞夫さんの言葉だそうです。当落のある試験でも無い限り、学校のテストやコンクールは間違えたり下手だったりする部分を客観的に教えてもらえるいい場です。本番とは、当落のある試験だったり、お客さまに聴いていただく舞台だったりでしょう。

 

間違えてもいい。人間なんだし。でも一度間違えた部分は二度と間違わない、という気迫は大事。それさえわかってくれるといいと思うのです。

 

楽器の演奏は運動神経に近いですからそうそう簡単には直らないですけどね
それでも自分で意識できるかどうかだけで、伸び方は断然違うと思うのです

 

ではまた。