人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

待つ、という教育

子育てに大切なのは「even if」の精神だそうです。短所を指摘して否定・断定をするのではなく「たとえ(短所)があるとしても」わが子は素晴らしい、と評価することが、子の自己肯定感を強め、精神の幹が強くなるのだとか。よくよく子育てを振り返ろう。

 

くわしくはこちらの記事をどうぞ

 

今まで「なぜこの子は“こんな簡単なことがわからないのだろう”」と否定感を持ってみていた勉学について、少し反省すべき要素が生まれたので、記録しておこうと思います。

 

以前、姉妹は単純な四則演算や時系列順の作文などがあまり得意ではなかった印象がありました。どちらも今後の勉学に絶対的に必要になってくるものなので、正直なところ私は焦りました。これくらいのことができなくてどうする! この学年で教えるということは必要なことだということだ。できて当たり前のはずだ。

 

しかし、最近になって、ふたりとも当たり前のようにこれらのことができるようになっている。なぜだろうと振り返ると、やはり脳の発達なんですね。生活においてもいろんなことが急激にできるようになってきている。私よりしっかりできている部分もあり、なるほどこれは「時間が解決する部分も多々あるのだな」と得心しました。

 

振り返って楽器教育。今までできなかったことが、ある日突然できるようになることってありますよね。それ、今まで我慢しながら教え続けてきたことがとうとう脳で理解しはじめた証拠なのだと思うのです。

 

たいていの「誰もができていること」は、たいてい「時間が解決する」のだと思いました。楽譜の拍がとれない? 割り算の仕組みが分かり出すと、とたんに理解力が深まります。音符を読めない? 識字率と同じくらいの速度でトライ&エラーを繰り返した結果、どんどん読めるようになっていきます。ソルフェージュが苦手? 辛抱強くつづけてさえいれば始めたころより確実に上手になっていきます。

 

時は金なり。「かね」を「きん」と読み、別の意味にもとれると感じた日でした。

 

何度も実感しているのですが、楽器習得は子育てに見事にリンクしていますね
長女はもうそろそろ恋心を知る頃。音楽の幅に深みが加わることでしょう

 

ではまた。