人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

感動を得た演奏と、真摯な態度

最近、ひとりの演奏を聴いているといろんな人の演奏を思い出してしまい、ちゃんと目の前の演奏に集中できていない自分がいることに気づきました。先ほどもクラシック倶楽部で放映されたシューベルトの「ます」を聴いていたのですが、頭の中でなぜか題名のない音楽会で聴いた實川風さんのベートーヴェンが流れてきます。

 

気になってしまったので録画の實川さんの演奏を聴いていると、今度はランチタイムコンサートで聴いたすばらしいドビュッシーが頭の中から聴こえてくる。なぜかはわかりませんが、好きになった演奏が頭の中で変にリンクしてしまっているんですよね。こんな経験は私だけでしょうか。

 

そのランチタイムコンサート、50人も入ればいっぱいになってしまうくらい小さなところで毎週のように開催されているのですが、日本の将来を担う若手が演奏する会だけあって、いつもクラシックファンですぐに満席になる人気のイベントです。

 

この日は某大学の生徒さんがサティ、ドビュッシーと近現代のピアノ小品を続けて弾いてくださいました。どちらもよく知っている曲だったため、それなりに身構えて聴いたのですが、あまりにも美しいタッチと、私のこれまでの常識にはない解釈に、大感動。

 

悪い癖が出まして、どうしても話してみたくなり、演奏会終了後に大学の広報の方に無理をいってお願いし、ほんの数分だけご本人とお話させていただきました。

 

いわく、サティ、ドビュッシーはご本人が好きで昔からずっと演奏してきたため、独自に解釈を深めていった結果の演奏だとか。実はこの二幕のあとに、武満徹の小品編曲やベートーヴェンのソナタも弾いてくれていて、とても素晴らしかったのですが、サティ、ドビュッシーのインパクトが強かった分サラッと聴いてしまいました。ちょっともったいなかったなあ。

 

どこの誰に教えていただいたらそんなふうに解釈したり弾いたりできるようになるのですか、というなかば失礼な質問に、彼はとても優しそうな顔で「僕はどこの町にもある小さなピアノ教室の出身です。だから、どこで学んでも一緒だと思いますよ」とキッパリ。

 

ああ、この子は「ピアノが好きだ」という自負があるんだな。音楽家に必須の要素のひとつを確実に持っているのだ、だから心に共鳴するものがあったんだ。

 

姉妹は同じ種類のかけらを持っていると思います。でもそれを大きくしていけるか、それともどこかで落としてなくしてしまうかは、子たちだけでなく大人の私たちにもかかっている気がしました。

 

彼のように真摯に音楽に向き合える子に育てるにはどうしたらいいのでしょうね。

 

本当に音楽教育は子育てと密接にリンクしていると思います
良し悪しはあれど、親子の関係は密接になっていきますよね……

 

ではまた。