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人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

競争力とコンクール

師走です。世界中のカレンダーが一年で一番軽くなる一ヶ月です。

 

とか詩人っぽいことを書いておくと文章のお仕事が来るのではないかと勝手に思っているわけですが、世の中そんなに甘くないわけで。ほんのときおり「文章上手ですね。プロですか?」と言われることが。これ、「パパの作ったホットケーキおいしい! お店開けるんじゃないの!?」という娘たちの感嘆とあまりかわりません。

いいかい娘たちよ、覚えておきなさい。レシピどおりに作れば誰が焼いてもホットケーキはこの味になるんだよ。小学校のときに習った文法を守れば文章はそれなりに読めるものになるんだよ。

文章のプロとは、糧になる原稿のほかに自分のための文章を書いてしまう伊熊よし子さんのような方をさして使うのだと、常々思います。

 

さて。日本のヴァイオリン人口の少なさは特筆に価すると(何の資料を漁るでもなく、世界と比較するでもなく、自分のなかで勝手に)思うわけですが、そんなニッチなおけいこだからこそ、プレイヤーもしくはプレイヤーの親は情報を収集しようと検索機能を駆使します。だからこんな一父親がヒマにかまけて駄文を連ねるブログでも、それなりのアクセス数を稼げてしまっているのだと勝手に分析しています。

 

ですから、

「ヴァイオリンを習いたい!? 何を言い出すのこの子は。でもやりたいって言って聞かないし、ピアノより場所をとらないし、習い事レベルならそんなにお金もかからないし、しつこいからやらせてみようかしら。近所にいい先生がいるといいんだけど。どれどれ、“ヴァイオリン お教室”っと……。あら、このお教室の生徒さん、コンクールに出場して受賞しました? そっか、ヴァイオリンの世界にもコンクールがあるのねぇ~。へえ! こんなにちっちゃな子がこんなにすごい曲を! うわあ、知らなかっただけでこんなにもたくさんのコンクールがあって、小学生のころからしのぎを削っているのね!」

という流れになりがちです(我が家です)。その昔、パソコンがここまで一般家庭に普及しておらず、当然インターネットなんていう便利な情報垂れ流しツールもなかった時代、情報源はすべてテレビかラジオか新聞・雑誌だったわけです。それに比べれば大変啓かれた時代になったものだと思います。

 

インターネットはたかだか20数年前に実用化されたものですし、スマホにいたってはその歴史をまだ10年も刻んでいないわけで(初代iPhone3Gの発売は2008年の出来事です)、時代の移り変わりの激しさを感じさせます。

 

www.facebook.com

 

それを踏まえて今回のこの記事は、ひとつの転換点を感じさせました。

いわばスマホの歴史よりも長く、おけいこヴァイオリニストたちの情報源として発信を続けてきたサイト『ビバ!おけいこヴァイオリン』が、とうとう学生音楽コンクールの主催である毎日新聞社に“目をつけられた”わけです。

いわく、「有料で販売しているパンフレットにのみ記載している情報をおおやけの場に転載するのは著作権法違反である」とのこと。毎日新聞社とのやりとりは上記Facebookにてすべてつまびらかにされていますので、興味をお持ちの方はご覧になってみてはいかがでしょうか。

 

ここでは、この出来事をきっかけにして、コンクールというものに対する現時点での考え方をまとめておきたいと思い、記していきます。まずお断りとして、あくまでも私見です。続いて我が家の事情として、小学生のコンクールに限った話です。

 

まず、ヴァイオリニストの国際的な競争力という観点において。

 

どんな芸ごとだろうと同じでしょうけれど、世に真価を問い、観客に対価を求める域に達するには、常識的範囲の思考のままでいては決して届きません。日本発の国際的ヴァイオリニストはほぼすべての方が「4歳より~」「5歳より~」始めています。「13歳で一念発起し~」なんて方、見たことがありません。芸ごとを飯の種にするというのは、そういう「一般常識外」の行動が必要です。

情操教育の一環としてであれば、「あくまでも小学生のやること」であり、「音楽で競い合うことなど論外」なのです。それは正論です。が、前段に書いたとおり「芸を飯の種にする」となると話は変わってくる。この世に存在する限られた席を得るために、競争力をつける教育・思考をとることが大前提になります。これはきれいごとだけでは済まされない、現実であり事実だと私は思います。

受験にも似たような側面がありますね。子供たちが将来を豊かに送るためには教育が必要で、教育されたことを理想的に実践するためには資本が必要。ならば資本をより効率よく稼ぐことのできる席を得るために、競争力をつけさせたい。競争力をつけておけば、将来どうとでも“つぶしが利く”のだから。

ヴァイオリニストはこのつぶしが利かないぶん、受験よりシビアです。

 

世界に限られた数しかないヴァイオリニストの椅子。そこに座るには、「勉強して点数をつけられて篩い分けられる」のとは少し違った世界になります。受験が減点式だとすれば、芸ごとは加点式。「基礎はあって当たり前。それをもとに“時代に則して”、“深い創作力と分析力を駆使して”、“人間性と個性を加味しながら”、“あなたならではの音楽を演奏”してください」と言われます。だから、審査員をはじめとする聴く側の年代や国籍、教育過程や派閥によって、高評価になることもあれば低評価になることもある。

 

デビュー前の漫画家といっしょですね。画力だけではダメ、売れ筋物語を書けるだけでもダメ、個性と時代性に則し、なおかつ出版社の好みにあわなければデビューはできない。原稿の持ち込み先を別の出版社に変えたらデビューできた、なんていう漫画家のエピソードはよく聞く話。そして多くの新人漫画家が目指すのは、まずは大きな出版社の賞。

小説家の大沢在昌さんが著書で「デビューしたいなら賞を狙え。なんでもいいわけじゃない。文壇に認められる一流の賞を狙う。そこで受賞してもン十年近く食えなかった私みたいな人間もいる。当時は大らかな編集者・出版社が多く、受賞してもなかなか売れなかった私の面倒をずっと我慢強くみてくれた。しかしそれはすでに時代に則さない。だから最低でもあなたという人を出版業界に知ってもらうために、まずは賞をとれ」といったようなことをおっしゃっていました。本が手元にないので記憶を頼りに書いていますが、ご興味のある方は以下からどうぞ。内容も大変おもしろいです。

 

小説講座 売れる作家の全技術  デビューだけで満足してはいけない

小説講座 売れる作家の全技術 デビューだけで満足してはいけない

 

 

芸で身を立てようとする人は賞を狙います。例外はもちろんありますが、業界にとっかかりを持たない人は、なおのことオールカマーの大会で勝ち抜くことで自己の実力を顕示します。そして「賞を得た」という看板を最大限利用して、自身を世に売り込むのです。

それでも、そこまでしても食えない人は出てくる。だからこそ業界を――人を、ヴァイオリンを、音楽を――心より応援している人は、少しでもその看板を多くの人に広めてやりたいと思う。それが人情というものでしょう。

そういう意味で、ビバ!おけいこヴァイオリンが11年もの長きにわたり続けてきた発信は、受賞者たちの「競争力の向上」「広告効果の拡大」という観点からみて、善意に基づいた大きな功績を積んできたのだと思います。厳しい見かたをすれば、ビバ!おけいこヴァイオリンはメディアと呼ぶには足りていない部分が多いでしょう。個人の善意のみを基軸としたメディアはメディアたりえないからです。しかし、閉鎖的で情報が少ない業界の通気口として、子供たちの教育に悩む親の息苦しさを払拭し続けてきたのは、新聞でもテレビでも雑誌でもなく、このサイトだったことと思います。

少なくとも我が家はここから多くの情報を得てきていました。心から感謝しています。

 

問題は、『学生音楽コンクール』とは、「国際的競争力の向上を促すためのコンクールとして位置づけられているのか」ということ。

 

その観点において。

 

学生音楽コンクールという大会の大本となった、『第1回学徒音楽コンクール』の理念を読むかぎり、会場でのみ購入できるパンフレットに書かれている出演者の個人情報は、おおやけの場には公開させない、という流れは、間違っていないと思います。

 

「新しい日本の前途は、青年の双肩にかかっていることは申すまでもありません。青年 殊に皆さん学徒の文化性こそ 文化国家としての祖国を築き上げ得るものであります。長い間の戦争でわが国の文化は 甚だしく後退させられて居りましたが 漸くにして 各方面とも力強く焼跡より息を吹き返して来て居ります。殊に 音楽部門の息吹は素晴らしいものがあります。
 文化の再建は音楽から―この意味をもちまして第1回学徒音楽コンクールを開催致した次第であります。従来も種々音楽コンクールが催されて居りますが その殆どが優勝者を決定する点に 目的がおかれていたやうであります。本コンクールの目的は これといささか異なり コンクールに参加するといふことにより 学徒が一生懸命に励み その結果 全国学徒の音楽水準が引上げられて 正しい立派な音楽が勃興することを主目標に致している次第であります。従って本コンクールは 単なる腕くらべや選手権争奪戦ではありません。
立派に歌ひ 立派に聞いて 音楽文化をグングン押し進めて行きませう。」

全日本学生音楽コンクールWebサイト「学コンの歴史――1946年のコンクール」より引用 

※本サイトにおける引用の定義は、こちらのサイトからお知恵を拝借しています。学コンWebサイトは「無断転載」を禁止しており、前出定義に則って「引用」いたします。

 

日本国内の音楽文化の底上げ(戦後まもないコンクールですから「再建」と書いていますね)を目指したコンクールであり、情操教育の一環としての位置づけであることを高らかに謳っている以上、本コンクールの「おおもとの理念」は「国際的競争力には無い」のです。たまたま、ここで評価された方たちが世界的に活躍しているだけ、という理屈なのです。ソロの国際的ヴァイオリニストとして名を連ねていないのは五嶋みどりさん、龍さんくらいではないでしょうか(未検証かつ思い込み)。

ですので、建前は「情操教育」でも、世間一般は「デビューへの登竜門」と位置づけており、毎日新聞社側もそういう世相を否定する努力を一切していない、というのが現状。本音と建前との齟齬がこれまでにないほど大きくなってきている。それこそが私が、ひとつの転換点に差し掛かっているのではないかと思った理由なのです。

蛇足ながら。「優勝者を決定する点に 目的がおかれて」いない「正しい立派な音楽」とはなんぞや、という議論はよそにお任せいたします。

  

しかし残念なことに、既存のメディアと組み合わさったコンクールというのはいろいろと制限も多い。特に権利が絡むと、コンテンツは不自由になります。また日本では「芸の継承は閉じたもの」という古来の考え方が根強いことも、この「権利」という言葉と密接に絡まって妙な説得力を持ってしまっています。元の理念をこじらせて、とても堅苦しく「権利主義」になっているという側面もあるでしょう。

ですから、最近の演奏者の傾向は大きく変わってきています。国際的な競争力を求めるならば、国内にとどまらずに自由な国際舞台へ。ビバ!おけいこヴァイオリンのFacebookにも

最近のビバおけは国際コンの情報が圧倒的に増えてきています。

かつてのような「学コン」への熱いテンションが自分の中では低下しつつあるのは事実です。開設11年、節目に来ているのが実感です。

 引用元、上Facebook記事より。

と書かれているとおりです。日本の国内に競争力を育むための場がないことは残念ではありますが、本場である西洋とは文化の土壌が違うのだからこればかりは仕方ないですね。日本の一般的感覚は「クラシック音楽は教育・文化であり、知的な内省によって発展されるもの」であって、「その一方で育み競わせることで新たな次元に発展させるもの」ではないのでしょうから。Jポップのほうがよっぽどシビアな競争をしていますしね、今の音楽業界。

 

ちなみにここでいう「競争」とは、最年少でデビューしてとか、何歳から演奏活動を続けて、とか、誰それより上手いか下手かとか、そういうことではないつもりで書いています。演奏者本人の中に生まれる「弾くことで生きたい。そのためにはこのままじゃだめだ」と奮起する、心のトルクを上げる精神構造を指しているとお読みくださると幸いです。

 

また、一意見ではありますが、そもそも学生音楽コンクールがあくまでも「教育」の場であるならば、海外の国際コンクールのように、なぜ「演奏者と審査員が自由に話し合う場、演奏者同士が横のつながりを持ち、交流を深め、子供たちの音楽の世界を広げていく場」を設けないのか、毎度不思議でなりません。会費をとってもいいので、参加者たちの打ち上げくらいやってやればいいのに。「そこは各自勝手にやってください」というのは若干投げっぱなしな気がします。音楽に優劣はないと言うわりには、どうもそういうセレブレーションの精神に欠けている気がしてなりません。

 

閑話休題。

 

時代の移り変わりとともに、近年、東京藝術大学の器楽科はいくつもの改革に着手しています。それは「国際競争力」を基準にした改革。いろいろと問題点もあるでしょうが、私はとても好意的に捉えています。まだ始まったばかりなのですから、内外の意見を取り入れて今後も改革されていくことでしょう。少なくともそういった拓けた雰囲気を感じさせる取り組みであることは確かです。ヴァイオリン業界の空気が変わりつつあることを、肌で感じていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

 

今後、学生音楽コンクールがこのことを機に何かしらの改革を行うもよし。新たな野望を持つ主催が現れて、海外コンクール並みの規模とリターンのある会を企画するもよし。節目をもって前に進むのであれば何よりです。

ただし、小学生レベルで賞だなんて、と何もしないのだけは私は反対です。まず国内に競争力がなくなります。ついで才能が海外に流出します。そして国内のテンションの低さを見て、クラシックを始めようとするパイが減少します。ひいてはクラシックファンが減少し、どんどん縮小傾向に進むことになります。

野球もサッカーも、プロの場で活躍し輝く人がいる。そしてそこにいたる道が幼少期のころから提示されているからこそ、全国の小学生が夢中になり、激しい競争を繰り返すのです。負けた子には「お前は精一杯やった」と励まし、勝った子には「世界を目指すならもっと上手くなれ」とはっぱをかける。途中で道を諦めた子たちは、大人になってもファンのままでいるわけです。30過ぎてもフットサル場のそこかしこに、昔のサッカー少年はいます。

なんとなくですが、日本のヴァイオリン業界はこの点をあえて見ないようにしているんじゃないだろうか、と思う節があります。ピアノにはピティナという競争原理がありますからね。賛否あるのはうなずけますが、ヴァイオリンにもあってもいいんじゃないかな?

 

理想的なコンクールがパッと開催されるならそれはありがたいですが、そんなにすぐに世の中が動くはずもなく。こればかりは時間が醸成してくれると信じるしかありません。

ですが、新たな希望もいくつか出てきています。

娘が参加したから、というわけでもありませんが、「白寿こどもヴァイオリンコンクール」はとてもいい会でした。白寿ホールの支配人、原浩之氏の理念に賛同されるご家庭であれば、参加する価値があると思います。まさに、

本物の環境、楽器、指導者との縁を紡ぐ「場」を提供

していただきました。少なくとも参加者は競争力を求めたコンペティターばかりでしたし、この会に我が家は蒙きを啓かれた部分もあります。

 

審査員は全員が海外演奏経験の豊かな方ばかり。そして本選終了後におひとりずつから直接、全員にとても丁寧な講評をくださる。ご褒美に名器の貸与があり、演奏会も実施される。参加者のみなさんも大変意識が高く、他の子の演奏にもじっと耳を澄ませて聴き、終演後には大きな拍手を送っている。

どうでしょう。国際コンクールの雰囲気に少し近くなってきていませんでしょうか。

もちろんまだ第一回ですし、問題も多々ありましょう。裏ではそろばんを弾く人もいることでしょうし、それを批判的な目でみる人もいるでしょう。でもそれでいいのだと思います。この会は今後新たな革新をもって発展していくといいな。隔年開催なので次回は再来年。1~4年生までしか参加できないので長女は二度とエントリーできませんが、本会の理念に基づき、ますますのご発展をお祈りしています。

 

というわけで、とても長くなりましたが現時点での私見でございました。

  

正否ではなくいち意見として捉えていただけると幸いです
しかし最近毎日更新していないせいか、一文が長くなって仕方ありません

 

ではまた。