人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

一子相伝かキャリアアップか

先日の続きのような話です。

 

長女も二女も技術や音楽性はまだまだですが、それでもビッグマウスは大切です。長女は抜きん出たヴァイオリニストになり、その技術を元にヴァイオリンの教師になりたいという野望があるそうです。二女は「好きだから」というわかりやすい理由で楽器に触れています。それがそのまま二人の目標になっていきます。

 

二女はひとまずおいておくとして、長女は人より抜きん出ることが目標ですから、そのためには自分を磨かねばならず、「孟母三遷」の言葉通り師も環境も選ばなければなりません。はい、勘の良い方ならもうお気づきでしょう、そうです、師を替えるお話です。

 

この話題は気楽に「先生を替えたいと思います」と書けるほど簡単なことでありません。なぜならば日本の楽器習得の業界には「師弟関係」の強い結びつきが色濃く残っていて、一歩道を踏み損ねると狭い世界の中で悪いうわさが立つ元にもなるからなのです。世の中には先生を替えるという言葉に過剰反応する人が多いようです。それは少し前の日本のサラリーマンが「転職」という言葉に穢れにも似た嫌悪を抱いていたことを思えば簡単に理解できるのではないかと思います。

 

ただし、ビジネスの世界では風潮も変わり、キャリアアップという言葉が生まれました。つまり階段を駆け上るように職を踏み台にして、新しいステップを次々と踏んでいくという生き方ですね。最終的に登りつめていけば、今まで踏んできた職場をつなげてよりWinWinのビジネススキームを組むこともでき……(この手の話は苦手なのでこの辺りにしておきます)。

 

娘たちの師を今すぐ替えたいと思っているわけではありません。ただし、遅かれ早かれそのときは来ます。しっかりと話し合いができさえすれば、楽器の道は進んでキャリアアップを繰り返すべき世界です。

 

日本人にはどこか「恩」「義」という言葉を意識しながら生きています。これを知らない人間は「恩知らず」「不義の者」という烙印を押され、集落のつまはじきとされる文化があります。ですから、師を替えるとなると誰もが身構えますし、言われた先生の側もショックを受けることが多いようです。まだまだ「キャリアアップ」のようにスムーズにはいかないようですね。

 

ただ、私はそういうとき、言葉の語源を探ることにしています。

 

「恩」とは語源を梵語にまでさかのぼり、「人の強い思いによって生かされている」という意味を指すそうです。「義」とは象形文字を分解すると「羊の首」となり、人が生きるために必要な儀式、ひいては「正しい行い」を指すそうです。

 

人の強い思いによって生かされ、正しい道を歩む。

 

これがきっと「恩義」の本来の意味です。正しい道を進みたいと思う本人は、きっと誰かの強い願いによって生かされているのです。そのために必要な道を選んで進む。進むからにはその場の感傷に惑わされてはならない。そして時間を経てもう一度わかりあえればいい。そういうものではないかと思うのです。

 

多くの先生に見ていただくこと。長所を引き出せる師を見つけるまでそれを続けること。見つけたら感傷は捨てても情は捨てずに決断すること。

 

これを常に心の中に留めおきながら「幾遷」としていこうと思います。

 

ではまた。




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