目に見えた進捗
長女と二女を同時に見ていて思ったことです。
長女は今、とても高い壁にぶち当たっています。本人は壁と思っていないのが何よりの救いですが、親はそのノホホンとした姿を見ると「少しは気にしろよ!」と苛立ってしまうことも。大人がぴりぴりしてしまうくらい、その壁は高いのです。
長女が今チャレンジしているクライスラーの『プレリュードとアレグロ』という曲は、名ヴァイオリニストが小品集を発表する際に収録曲の候補にあげることの多い名作です。ダイナミックで扇情的な楽曲を表現する裏には上級テクニックが随所にちりばめられていて、長女程度の技量では楽譜を追うだけで一苦労なのですが、テクニックを極めたプレイヤーにとってはそれだけ表現に幅を出しやすい便利な曲でもあります。
クライスラー本人の演奏、イツァーク・パールマン、五嶋みどり、ヨシュア・ベル、今話題のデイビット・ギャレット、ダニエル・オーサー、ジノ・フランチエスカッティ、エリック・フリードマン、オリバー・コルベントソン……。「完成形」に近い名演奏を何種類も耳にすることができますので、親は理想ばかりが高くなっていきます。すると、今まで何度も登場してきたポジションチェンジで音が外れたりすると、「どうしてこんな初歩的なところでミスをするのか」「こんな簡単なところをミスしていたら高難度の部分の練習はいつになったらできるのか」とあせりばかり覚えてしまいます。
一方で二女は、今まで長女が乗り越えてきた壁を、なんなくすいすいと乗り越えようとしています。長女のときもそうだったのですが、鈴木教本の四巻あたりになると、突然上達の速度があがったように感じるものです。ザイツやヴィヴァルディをすいすい弾きこなす姿には頼もしささえ覚えます。そのぶん、長女のとまどいや停滞を観ているのがつらく、どうしてだよ、もっとがんばれよと思ってしまう……。
でも冷静に考えると、そうではないのですよね。
高い壁というのは、客観的に観ると「登りきったか、それともまだか」です。つまり「できたか、できないか」でしか判断することができません。しかし登っている本人にとっては「壁の七合目」かもしれませんし、実はまだ「三合目にも達していない」かもしれないのです。登りきったとたんスラスラできるようになる、そういうものです。
脳科学者の茂木健一郎氏が以前ツイートされていました。継続して努力した技術というのは、「いったん下がって、ぐんと伸びる」のだそうです。彼が昔水泳をしていたころ、タイムが伸びなかった時期とにかく練習を続けたところ、タイムが下がってきてしまった。気落ちしてあきらめようとしたときに、コーチに「いいからつづけろ」と言われ、とにかく続けたところ、急激にタイムが伸びだしたそうです。
脳は一度運動の最適化を図るために、いったん筋肉運動をばらばらにするのでしょうね。そのタイミングで技量が落ちたように感じる。でもとにかくサボらずあきらめずに続けていると、急に最適化のスイッチが入り、今までできなかったことがぐんとできるようになる。
なんともチャレンジしがいのある高い壁に、あまりプレッシャーを感じずに立ち向かっている長女を思うと、少し頼もしく思えてきます。
ではまた。