無茶ぶりの功罪
モンスターハンター4Gを内緒で購入したことが妻にバレて、「長女のヴァイオリンに1円でも多くかき集めなきゃいけないこの時期に!」と軽く凄まれてしまいました。こんにちは。
本人に前向きなやる気がある場合に限った話ですが、無茶ぶりというものの功罪について少し考えるところがありまして。
ヴァイオリンだろうとピアノだろうと、楽器には明確に見える力量というものがあります。技術向上をおろそかにすると、ゆっくりな曲はさらう程度に弾けても速い曲を弾くことができない、私のような人になってしまいます。また幼少時は骨格や筋力などが整っていないうちにはどうあがいても弾けない曲が出てくるものです。
だからこそ教育プログラムは大事で、それは現在も試行錯誤の渦中なのだと思われます。一般的に言って演奏教育の中で、音楽の師はふたつの方針に分かれます。
・身の丈にあった曲を
基礎力がつくまではとにかく練習が大事。無茶な曲を無茶に弾いて、フォームが崩れることのほうを危険視する。
・無茶でもふる
弾ける弾けないは関係ない。頭だけしか弾けなくてもいい。それでも名曲に触れるというのは大きな刺激になる。また今の技術を超えた曲を弾くことで、強引に技術を引き上げる効果も望む。
一般的には前者。少し先鋭的な師は後者。そんな印象を受けます。五嶋みどりさんのご母堂、節さんも著書の中で「難しくてもとにかく弾かせる」というようなことをおっしゃっていました。まだレッスンの回数が少ないのでなんとも言えませんが、長女の先生も似たような方針だと思います。
どっちもどっちだなあと思っていたところに、先日、脳科学者の茂木健一郎氏のツイートが目にとまりました。
茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1337回「お守り」 - Togetterまとめ
その中でもっとも惹かれたのが
Gravitationとは、この本だけど http://t.co/hpmZVug608 普通に考えて、中学三年生が読める本ではない。でも、なぜ馬渡くんにすすめたかと言えば、まずは「無茶振り」。脳は、「無茶振り」しないと伸びない。思い切り背伸びして、初めて見える世界がある。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 10月 11
このツイート。そして、
教育現場に行く度に思うのが、やる気のあるこどもたちが、大人たちの「ねこなで声」(この年齢のこどもたちには、この程度の内容を教えていればいい)という間違った観念によて、伸び悩んでいるということである。英語の原書だって、いきなりフリードマンを読ませて、なんの問題もないと思う。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 10月 11
これ。大人たちの「ねこなで声」に楽器の道があてまるかどうかはわかりませんが、とてもうなずける部分が多い。大人が子供の成長にふたをするのは日本的教育の一番よくないところではないかと私も思っています。効率的におしなべてすべての人に平均的な教育をほどこすという意味では、現在の横並び教育も悪くないでしょうが、もうその目標はある程度達成しているはずなのに、いつまでも初志をまげないのは頑固を通り越して偏屈ですらあると感じます。
楽器の道は正直わからない部分も多く、大きなことは言えません。しかしやはり子が伸びたいと欲しているときに「まだ早い」と止めてしまうのはどうしても機会損失でしかない気がします。
長女の先生は「もっと難しい曲をやろう」とおっしゃってくださるので、そこに関してはとてもありがたい方針だなと思います。
が、長女よ。バッハの協奏曲はせめてもうちょっと丁寧に弾けるようになってほしい……。
丁寧に弾くことを覚える。今の長女の課題なのです。
ではまた。