人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

作曲ははずかしい?

長女さんはソルフェージュのレッスンに通っています。ピアノの先生がご専門とされているので、比較的早いタイミングで、のんびりとレッスンしていただくようになりました。簡単な楽譜を初見で弾いたり、拍を手拍子したりと、ちょっと難しいリトミックみたいなものなのですが、毎日これだけ楽譜に寄り添って生きていると簡単に音楽をつかめるものなのだなあと感心してしまいます。

 

特に聴音とそれを採譜していくレッスンははたから見ていて「よくできるものだなー」と思ってしまいます。先生は採譜のコツを知っていて、受験テクニックのような要領で長女にご教授くださいます。これからどんどんヴァイオリンの曲が難しくなっていくし、世の中は近現代曲が弾けないとダメという風潮になりつつあるので、読譜早期教育も悪くないなー。

 

二女さんはもう少しお姉さんになったらね。

 

今回も若干複雑な譜面を見せられ、新曲を視唱。妻がレッスンの様子を動画にとって送ってくるのですが、わが子の歌う姿というのは一種独特の癒し効果がありますね。仕事中にも関わらずずっと聴いていました。

 

その後、一部の小節が歯抜けになっている楽譜を渡されて、「好きなように作曲してみて」という面白そうなレッスンが。まだ7年しか生きていない脳みそで彼女なりにがんばって楽譜を埋めていきます。しかしせっかく書いたのに、なんだかモジモジして見せてくれなかったとか。

 

「恥ずかしいんだもん」

 

あー。なんかわかる。自分の中から生まれたものって、自分の心を見られるような気持ちになるんだよね。初めて書いた文章を人に添削されるのってとても恥ずかしいし、それをメッタメタに校正されると人格を否定されたような気持ちになって極限までヘコむものだし(何度も繰り返すといつのまにか慣れるものでもありますが)。

 

私小説を覗き見されるような恥ずかしさでしょうか。とてもまっとうな反応だと思うのですが、モーツァルトは11歳にしてピアノ協奏曲を作曲しているらしいので、「恥ずかしい」と思わなくなるくらい理論を固めていけるといいね。

 

自分の作品を人に見られる恥ずかしさをはじめて表した長女さんでした。

 

ではまた。



ブログランキング・にほんブログ村へ 

↑クリックくださると励みになります。