人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

早期に難曲にチャレンジする利点

今まで何度も書いてきましたし、いまさらではあるのですが、私は「子供なんだから、子供らしく」という言葉をあまり信じていません。「あまり」というのは、ホルモンの問題や成長過程で絶対的に不可能なことなど、イレギュラーもいくつかあるからであって、根本的には茂木健一郎氏のいう「ねこなで声は間違った概念」という意見に賛成です。

 

子供時代に無理をさせると思春期をこじらせるとか、親が無理をさせておきながら子の将来に親は責任を取らないとか、言いたいことはわかる意見も散見します。おおざっぱに大別するならば、

 

・子の成長の可能性を信じている派

・子が将来負いかねない危険を回避したい派

 

だと思うわけです。どちらも間違っていないと思います。だから私は上に賛成、という立場なだけで、逆を否定するつもりは毛頭ありません。

 

それをふまえて。

 

楽器の世界にも、小さいころに難曲を弾かせることに否定的な人はいます。それが正しいかどうかは不毛な議論であるということを「ふまえて」いますので、ここではそれを書きません。ただ、実際に体験した一例としてのお話なのですが。

 

パガニーニヴィエニャフスキと、小さな子が大曲・難曲を弾くことも当たり前になってきている昨今(今年のはじめ、当時小1の子のメンコンを聴きましたが、小さな楽器できれいに音楽を表現していました。音程もバッチリ……長女、見習って!)、この功罪の「功」のほうが少し垣間見えました。

 

というのも、サラサーテのサパテアドを聴いた長女が、

 

「あ、これ弾ける」

 

と直感的に感じたというのです。もちろん、表現できるかとか、人に聴かせられるレベルに仕上げられるのかとか、そういうことはひとまず置いといて、「弾けるか弾けないか」でいえば「弾ける」と感じられるようになった、ということ。

 

つまり精神的な障壁が無くなるんですね。手に届かない雲の上のような難曲、という意識はなく、「こういう練習をすれば弾けるんじゃなかろうか」というイメージを掴むことができるようになる(たいていはそのイメージ自体が甘いんですけどね……)。

 

 

聴いていただければわかりますが、テクニック的にはヴィエニャフスキの華麗なるポロネーズで学んだものの応用です。もちろんみどりさんのように吸い付くようなボウイングはまったく別の学習なのでここでは無視してください。……無視してください!(大事なことなので二度言います)

 

 功罪あわせもつ早期教育ですが、こんな「功」もあるよ、という一例のご提示でした。

  

みどりさんのサパテアドは本当にステキですね
DVDを持っていて、この曲は何度も聴いています

 

ではまた。