人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

逃げられない、ごまかせない

ときおりyoutubeなどで人の演奏を聴いていると、長女が横から覗き込んできます。とても上手なアジア人が弾いているのを見ると「この人、韓国人?」と聞いてきます。韓国人=楽器がうまい、という意識が刷り込まれているのかな。まあ間違ってないですよ、特に最近は。

 

ちなみにそのときの動画は、日本の子でした。

 

さて。

 

うちの姉妹はひとまずおいといて。楽器に真剣に取り組んでいる子というのは、比較的学業もよくできる気がします。これはなぜなのか、と考えたとき、「やはり所得の高いご家庭が本気でやらせる傾向にあるから、学習に対する投資額も相応に高いのでは」とか「読譜第二外国語みたいなものだから、語学習得力があるのでは」とか、それっぽい理由はみつかります。

 

が、妻が最近こんなことを言い出しました。

 

「音楽って、できないことをごまかせない。だから逃げられない。乗り越えるには直視して対峙しなければならない」

 

ああなるほど、と思わないでもないです。勉強だけなら「私は古典が苦手だけど、理系だから」とか「数学はサイン・コサイン・タンジェントで諦めた。でも私には英語がある」とか、長所のみを強調することもできるけれど、ステージは日々の生き様すべてを見られてしまう。足りないと思われたら、如実に反応に顕れる。だからどこにも気を抜くことができない。つまり不勉強ではいられない。

 

音楽だってもちろん言い訳はできる。でも演奏に対する反応は身内以外からはやさしさのかけらもないのが当たり前です。言い訳しているひまがあったら、1分でも多く練習するしかない。そういう世界を知っているかどうかだけでも、子の意識はだいぶ違うのではないでしょうか。

 

だから、姉妹とも逃げずに練習しよう。

人生の中でこの苦労が役立つ日が必ずくるから。

 

半ば自分に言い聞かせているんですけどね
親を軽々と越えていってください

 

ではまた。