人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

マネっこではダメなんだけど

私はここ最近、先日の伴奏あわせを録音したデータを何度も聴き返していました。ときおり「おっ、これは!」と思う演奏があり、そういうところを何度も聞き返して、「ちょっと長女、この弾き方すごいじゃない。このときは弾けたんだから、今も弾けるでしょ。やってみて」と言い続けていたら、長女の演奏に精気が戻ってきました。よかった!

 

少しずつ演奏にも前向きになってきた長女は、真っ白の楽譜に自分でいろいろと書き込みをするようになってきました。「ここは、パーンとはじけるかんじ」など自分の言葉で工夫をこらしています。

 

でも、つい先日、事件が。

 

急に悦に入った節回しをしだしたところがあり、妻がハッと気づいたそうです。「それ、誰かの演奏の真似したでしょ?」とやさしく聞いたところ、「うん、かっこいいと思ったから」とうなずく長女。先生はこれを恐れて、「他の人の演奏を聴くのは当分禁止!」とおっしゃったわけです。

 

曲を通した意図ではなく、脈絡のない文法でその場所だけ「かっこいいから」とマネをすると、パッチワークのように印象がバラバラな演奏になってしまう。先生のご指示はひとつの文法に沿ったご指導なのだから、そこを逸脱するのは良くない。

 

妻はそう諭したそうです。あとから指摘されて傷つくより、今教えたほうがいいとの判断からでした。すると……。長女、とぼとぼと風呂場に行き、ひとりでおんおんと泣き出してしまったそうです。妻は「傷つけてしまったのだろうか」と気に病んだのか私に報告してきました。

 

そこで、私は電話で長女と話をすることにしました。

 

「どうして泣いたの? やめなさいって言われたのがいやだったの?」

「うん。ちゃんと弾きたくて考えたのにダメっていわれた」

「そっかー。パパはダメって思わないな。やってみたらいいんじゃないかなー。自分で『こうしてみたい』って思ったんでしょ? それはとても素晴らしいことだと思う。それで先生に『その弾き方はおかしい』って言われたら直せばいいんじゃないかな」

「でもママがダメって」

「ママはね、勝手に工夫して先生に聴いていただいて、もしダメって言われたら、長女ちゃんがもっと傷つくんじゃないかと思って、今教えてくれただけなんだよ。あなたが自分で考えて、自分で工夫してみたことは喜んでいるはずだよ」

「そっか。ママは心配してくれたんだ」

「そう! 自分で考えて工夫することはとってもいいことだから。それはとても大事だから止めなくていい」

「うん。でも、工夫した方法で弾いてみたい」

「だったら、こうしてみたら? 先生が教えてくれた弾き方と、自分で工夫してみた弾き方、どっちも録音して、自分で聴いてみて、それでもかっこいいと思うなら、先生に聴いてもらう。どう? ママにはパパから言ってあげるよ?」

 

というと、納得していました。その日、私が帰宅するまで待っていた長女は、録音してほしいとせがみ、どっちも録音して聴いてみて、考え込んでいました。後日、長女は妻に

 

「昨日のところ、録音聴いてもう一度考えたんだけど、ねばっこくしないほうがいいと思った。しなくても心こめられると思ったから」

 

と先生の指導に従うことにした様子。妻が聴いた限りでは、彼女のできる範囲で一生懸命音色を工夫していたそうです。そしてその後……。

 

「とてもいい演奏になった!」

 

と報告が。二女が顔色を変えて拍手していたそうです。

 

きたかブレイクスルー! 掴んだか、やっと!

 

録画していた動画を聴くと、確かに今までとはまったく違う弾き方。そして聴かせる演奏に。……長い道のりでした。ようやく曲の形がつかめた様子です。コンクール全国大会直前にこれかぁ。今回はひやひやしたなあ。とはいえまだ細部は荒いんですけどね。やらなきゃいけないことがたくさんです。


なんとも難しい話ではありますが、あのとき長女が泣き出したのは、暗闇に入り込んでいた演奏に少し光が見えたとき、自分でやってみようと思ったことを止められて、どうしていいのかわからなくなってしまったのかもしれませんね。妻も「大人の理屈で否定するんじゃなくて、いったんは認めてやればよかった」と猛省していました。でも結果としていい方向に向かったのは、長女の力です。たくさん褒めてやりたいと思います。

 

しかし、子育ての領域の話ですね、これは。

 

その後はとてもハツラツと練習に挑んでいました
徐々に自信を取り戻してきたのでしょうか?

 

ではまた。