人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

楽器で食べていくための考察1(序文)

ここのところ、長女も二女も発表会やコンクール前の特訓が続いているため、目に見えた成長や変化があまりありません。そのぶんここに書くネタが無くなってきて困ってしまうのですが、とはいえまったく何も書くことが無いかというとそんなこともありません。

 

長女が「ヴァイオリニストになりたい」という夢を語ったその日から、私たちは日々いろんな現実への対処法を考えている。そんな素人考えを何度かに分けて書いていきたいと思います。

 

「楽器で食べていく」と一言で言っても、いろいろな方法があるわけで。

 

  1. ソリストとして活動する(事務所に所属もしくは個人)
  2. タレントとして活動する(事務所に所属もしくは個人)
  3. オーケストラに所属する
  4. 器楽の先生として活動する(企業もしくは教育機関もしくは個人)
  5. 上記活動者としてコンクールの審査員を務める
  6. 楽器関連の企業に所属する
  7. 楽器関連の文筆業を営む(企業に所属もしくは個人)
  8. スタジオミュージシャン
  9. American Federation of Musiciansなどの演奏家団体に所属して演奏活動をする人
  10. 宗教音楽家
  11. 音楽療法士

※8からは2015/11/19追記 

 

最後の6つは「楽器で食べていく」とは少し離れますが、長年心血を注いできた業界のそばで働きたいという思いは人一倍強いと思いますので、入れておきました。このどれかに所属できれば、「楽器で食べていく」ことは達成できた、と見ればいいでしょう。

 

しかしその一方で、楽器演奏を通じた「表現者」としてはこれで達成なのか、と問われると、きっとその道で今現在ご飯を食べることができている人もみなさん一瞬は息を飲むのではないかと推測します。生活できてかつ表現者としても常に進化したい、というのが本音だろうと思うからです。

 

ここで、とても大切なことを考察します。つまり

 

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)

 

 

です。西原理恵子(さいばら・りえこ/漫画家)さんは私の大好きな作家で、「自分の経験則からのみ言いたいことを言っている」というご自身の立ち位置を明確にしたうえで、とても含蓄深い物語やエッセイを描(書)かれます。本書もタイトル以上に得るものが多いことと思います。

 

お金の話。汚い、と思う方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか。

 

でも冷静になると「汚い」なんていっていられません。楽器を習うのだって、楽器や楽譜や弦や松脂やケースや音叉を買うのだって、全部お金が必要です。自分の腕を維持したりさらに高みを目指したりするため、高名な先生にレッスンをつけていただくこともあるでしょう。大切な楽器や弓がへたってしまい新たに購入する必要に迫られることもあるでしょう。自分で開いたお教室が軌道にのり、便のいい場所に引っ越したり防音工事を施したりする必要だって出てくるかもしれません。

 

自分自身もしくは事業に投資するのは何歳になっても大切なこと。どんなに素晴らしい腕があっても自分に投資できなかったら、年齢とともに磨り減っていくのが「個人の力で食べていく」ことの最たる恐怖だと思います。趣味ならいいですが、楽器の道を進むならそうも言っていられません。ですので、ここではお金をこう定義します。

 

楽器で食べていくための燃料=お金

 

燃料は蓄えてあればあるほど安心です。電気・ガス・水道がすべて止まったとしても、発電機・プロパンガス・貯水槽があればしばらくは心安らかなのと一緒。そのためには、貯蓄できるだけの収入がなければなりません。つまり、楽器で生活を成り立たせ、かつ事業も継続していく将来像を子と一緒に描いていくには、「汚い」なんて考えは捨て、インカム(収入)を知っておくべきなのです。

 

しかし一方でこんな言葉を聞くことがあります。

 

「お金のために音楽をやっているんじゃない」

 

ある意味正解だとは思いますが、大変危険な不正解が混在した考えです。その不正解とは、この記事がすべてを語ってくれています。

 

 

1997年の日本の陸上界でチャンピオンに輝いたこの方が、日本ではずっと無名だった。世界レベルで戦えないと、誰も振り向いてもらえなかった。つまり100メートルは9秒台で走れなければならないし、走り幅跳びは8メートルを跳べなければならない。だって、日本でトップでも、それにお金を払ってくれるお客がいないのだから。

 

……聞いたことのある話です。ヴァイオリンに当てはめて考えると、同じように首肯してしまうのではないでしょうか。

 

アスリートでいる、ということだけで何故か特別な意義のあることをしていると勘違いしていたのかもしれない。
身体を動かせばチヤホヤされて経済力がなくてもアマチュアだから仕方ないと許容されて、親にすら甘やかされていた気がする。
もしあの頃に、今と同じくらい世の中のことに目を向けて毎日勉強できていたら、もしどうすればスポーツを主体とした生活の中で収入を増やせるのかを考えて努力できていたら、もし今と同じくらい周りの人達が自分の言葉や態度で笑顔になれるのかを考えられていたら。。
きっと結果は変わっていたと思うし、陸上だってゴルフだってもっと何年も登れる限りのところまで活動できていたと思う。

 

……ここを読んだとき、私はとても身につまされる思いに駆られました。このまま「上手ければいいんだ。音大に入れればいいんだ。プロオケ、もしくはレッスンプロとして生きていければいいんだ」としか考えないまま親が子に接していたら、きっとあるとき、突然、親も子も行き詰る。

 

これは勉強が必要そうだ。

 

そんな思いで、この文章を書き連ねていこうと思い立ったわけです。

 

今後、不定期にこの考察を積み上げていきたいと思います
念を押しますが、あくまでも素人考えの一考察に過ぎませんのであしからず

 

ではまた。