人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

学業と芸事の両立

先日、友人に学生音楽コンクールの熾烈な競争について細々と説明したあと、今年はこんな感じだったんだよー、と感動を伝えていたときのこと。その子は昔からクラシックバレエとピアノをやってきた人ですがヴァイオリンの世界は知らない。そのため興味津々に聞き役にまわってくれたのですが、最後にとんでもなく含蓄深いことを言っていました。

 

「大きなコンクールの1位がとれて聴衆賞を逃した、もしくはその逆というのは、まだ修行中の身なんですよ。どっちも取れた人はある程度完成されていて、プロとして第一歩を踏んでいい人。熊川哲也はローザンヌ国際コンクールでどちらも受賞し、『早くプロとして活躍したほうがいい』と審査員に言われたそうですし」

 

……おおなるほど! なんかすっきりした。

 

さて。お昼休みにいつものごとくネットを徘徊していたら、とても面白い記事を発見してしまい、それから一日読みふけって仕事になりませんでした(仕事しろ)。音楽教育にまつわる論文をいくつも発表していて、自身も教室を主宰していらっしゃる方のようです。その文章がまた読ませる。

 

たとえばこんなの。

 

東大受験の真っ最中に、関係なく普段通りに、普通にlessonに来ている生徒に聞いてみました。「大学受験なのに、どうして休まないの?」彼は答えて言いました。「一番怖いのは、ペースを乱すことです。入学試験だから徹夜したり、勉強時間を増やせば、その時はなんとかなったとしても、必ず次が上手く行きません。平常で出来るようにしてしまえば、どのようなときにでも絶対に失敗する事はありません。」友人にその話をして、「高校生が言う言葉かね?ほんとは、大人に聞かせたい言葉だよね。」と言うと、友人は「そのlevelの子供だから言える言葉なんだよ。」と言っていました。

 出典は音楽と勉強の両立第二稿

 

真っ先に思ったのが、現在の長女の練習方法です。本番直前に集中的に練習するのはとても大事ですが、新曲をいただいたからとか、できなきゃいけないパッセージがいつまでも弾けないからとか、いろんな理由でほかの時間を犠牲にするのは、本人のペースを崩すことになるな、と反省。

 

きっとですね、親がそのレベルの学習方法しか取れてこなかったから、同じような教育を子にやらせようとしてしまうんです。自分は最善の学習をしてきたとはとうてい思えませんので、そこは素直に反省して、先人の知恵から学びたいところです。

 

私の師匠であるゲンツマー先生は「音楽家は職人しか居ないんだよ。芸術家であるか否かを決めるのは、歴史だよ。」といって「最初から芸術家足らん」としている学生を戒めていました。

 出典はこちら

 

 これはとても良い言葉ですね。芸術家であろうとするなかれ、芸術家だと認識されるまで音楽を続けるべし。そもそもアーティストという言葉は周囲が使うものだと私も思います。誰かが自分の演奏を評してくれるときに「芸術的」と「言われるもの」だと思うわけで。ちなみにハラルド・ゲンツマーとは現代作曲家で、パウル・ヒンデミットの弟子とか。執筆者の芦塚陽二氏はヒンデミットの孫弟子にあたるわけですね。

 

この方のサイト、まるで九龍城のようで、掘れば掘るほど面白い文章が出てきます。お時間のある方はぜひお勧めです。でも、仕事を忘れない程度に。

 

音楽と学習の両立の文章は特に深く深く考えさせられました
姉妹にちゃんと教育してやれているか、考え直すきっかけにもなったのです

 

ではまた。