人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

「舞台が大好き」の真意

気持ちのこもっていない文章は誰の心をも打つことはありません。そして人を泣かせることの出来る力をもった文章とは、少なくとも書いている本人が号泣していないと書けません。もし笑顔で「泣かせどころ」を書ける人がいたとしても、その文章はすぐに消費され、消化され、忘れ去られます。

 

音楽と文章って似ているところがあると思うのです。文章が書けることと、音楽を奏でることができることって、深いところで繋がっている気がします。

 

なんて哲学的なことを書いておきながら、今日は家族のちょっとした会話を。

 

長女に「舞台が続くね。忙しいし大変だし、疲れない?」と話しかけたときのこと。

 

「でも私、舞台は好きだよ。ていうか大好き」

 

へー、どれくらい好きなの?

 

「誕生日とかー、クリスマスとかー、ディズニーランドとかー、そういうのと同じくらい好き」

 

そんなに好きなのかー。緊張しないの?

 

「する! すごい緊張する。前の日とか眠れないこともある」

 

そうだよね。本番は人に音楽を聴いてもらうんだものね。そのために練習しているんだし。でも誕生日もクリスマスもディズニーランドも、特に練習しなくても楽しいよ?

 

「あっ、そうだね。本当だ!」

 

なんだか「今気づきました」みたいな顔をされたのですが……。

 

この反応を、「練習を厭わないくらい舞台が好き」ととらえるべきなのか。それとも「それは気づかなかった。ならディズニーランドのほうが好きかも」という意図なのか。気の弱い父親は、真意を問いただすことができませんでした。

 

しかし「舞台が好き」とはとてつもない自己顕示欲ですよね
自己顕示欲のために音楽を利用しているのではないか、これも訊きたかったけど問いただせませんでした

 

ではまた。