人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

勇気ある演奏

姉妹の宿題を見ていると、愕然とすることがあります。漢字の書き取りをしている長女の書き順をみていて「それ、間違いだよ」と指摘し、正しい書き順を見せようとネットで検索したら……長女の書き方が正しかった! え、いつ変わったの!?

 

インターネットのヤホーで調べてみたんです。そうしたら、同じ疑問を持った人たちが知恵袋で質問していました。まさに「書」という字。これ、世代で分かれるんじゃないですかね。タテ・ヨコ・ヨコと習ったよ!(正解はヨコ・ヨコ・タテ)

 

音程の話題を数日前に書きましたが、長女のヴァイオリンの音程は、まあお世辞にも美しいとはいえません。大外しする、というわけでもないのですが細かいところでピッタリあわない。特に気分が乗っていると音程よりも勢いが前に出てしまう。

 

私は若かりし頃、音程の狂った歌が大嫌いで、ちょっとでもハズして歌う人を音痴と罵っていたことがあります。ですから、大抵のアーティストは若気の至り満載の私の目からみれば音痴だったんですね。

 

でも衝撃的なボーカルを知ったのはまさに中学生の頃(まだタテ・ヨコ・ヨコだと思っていた頃です)。筋肉少女帯というロックバンドのボーカル大槻ケンヂこそ、その人です。歌はぐだぐだ。音程は宇宙。ときには汚いがなり声だったりする。当時の私の基準からすれば、確実にアウトです。見向きもしなかったでしょうね。……でも仲の良い友人に勧められて、とにかく最後まで聴いたんですね。

 

すると、泣けるんです。心が震えるくらい、歌詞が染みてくるんです。

 

ああ、しまった、これが音楽、ひいては表現というものだったのか。と長年多くの音楽を毛嫌いして否定して、無駄に過ごしてきたことを嘆いたのでした。それから、私の音楽道楽は始まったといっても過言ではありません。ありとあらゆるジャンルの音楽を聴きましたし、やはりロックから入った分、ロックへの愛情はとても深いものとなりました。ギターを弾き始めたのもこのころ。小学生のころ少し習ってすぐにやめてしまったエレクトーンも、自主的に遊びで弾くようになりました。

 

だから、正直なところクラシック音楽は有名な曲だけは教養として知っていましたが、私の道楽の中からは1番遠いところにありました。「過去の遺産を正しく弾き続けるだけなんて、ただのカラオケじゃないか」と、娘たちがヴァイオリンを始めるまでは若気が残っていたものです。

 

いやあ、知らないって怖いですね。

 

今はそんな傲岸なことは思っていませんよ。クラシック、楽しいです。

 

最近私たち夫婦は、長女の演奏を人に聴いていただくように努力しています。今までは「恥ずかしいから」とか「音をハズしているから」とか「キズが多いから」とかいう理由で、限られた方にのみお聴かせしていたんですが、そろそろ卒業してみよう、吉田兼好に倣おう、と。

 

今回お聴かせした演奏も、音程から言えば合格ラインすれすれ(アウト?)くらいなので、厳格なクラシックファンには見向きもされないだろうな、と思う内容なのです。が、私にはまるで大槻ケンヂの歌声のような、魂に響く演奏でした。だからそれが親の独り相撲なのかどうか知りたくて、いろんな人に聴いていただき、それぞれ感想をいただきました。賛否あってもこれは私の宝物です。本当にありがたいことです。

 

演奏に対して「好き」とか「嫌い」とか、なんでもいいので評価してもらえるのってありがたいですね。演奏者にとってもっとも辛いのは「無視されること」ではないでしょうか。

 

最後に、もっとも嬉しかった言葉を自慢げに載せて本日は終わります。

 

「小さなミスを恐れない姿が勇ましく、ヴァイオリンが大好きな気持ちがつたわってくる素敵な演奏でした。もっともっといろんな曲を聴いてみたいです」

 

「もっと他の曲も聴いてみたい」という言葉は何よりも嬉しかった
コンクールの寸評でも「ヴァイオリン大好きなんですね」とよく書かれる長女です

 

ではまた。