人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

創るのか、真似るのか

二女はヒマさえあれば白地の用紙を引っ張り出してきて、唐突に何か絵を描き始めます。そして巨匠よろしく、気に食わないとポイっとそのへんにほったらかして、また新しい紙を取り出します。一本線を描いただけで気に食わなくて新しい紙を出そうとしたときは、さすがに「お願いだから消しゴムで消して」といいましたが。

 

音楽にしてもそういう面があります。「私、ここの部分が好きなんだよね」とは姉妹ともよく言うのですが、「だって人形が踊っているみたいだから」というように具体的な絵が見えているのが二女の特徴です。だから「こう弾くとステキでしょ」という言い方で注意されると、喜んで直します。理由を言われないとムッとします。

 

一方で長女は「こういう風に弾いて」と目の前で弾いてもらえると、それを真似してパッと弾くことができます。正直親の私がそばで聴いていても何が変わったのかわからないのですが、先生は「そうそう、そうやって弾いて」とおっしゃるので、へえーーと感心してしまいます。

 

が、それをすぐに忘れてしまうのも長女です。その場で真似はできるのですが、「なぜなのか」を自分なりに曲の解釈と結びつけることができないので、翌日弾くとまたレッスン前に戻ります。形状記憶合金のようにしつこい! 一回で直らない。だから部分によっては数ヶ月ずっと同じことを言われ続けていることまであります。

 

音楽にせよ勉強にせよ、教育にセオリーは無い。しかし大別されることはある。たとえば、「小さいうちから難曲にチャレンジさせて弾く楽しみを見出させる」のか「簡単な曲をていねいにさらって基礎力を固める」のか、の選択は特によく話題にのぼることと思います。

 

それと同じで、音楽を目の前にして物語から「創る」のか、それとも弾ける人の物語を自分なりに「真似る」のか。これも2大セオリーなのではないか、と思えてきました。

 

どちらにせよ先人の知恵をお借りしながらではありますが、その借り方の比重のかけかたの違いといいますか、そのあたりが肝になるのでしょう。どちらにも一長一短があり、将来的にはどちらがいいのか(下世話な言い方をするなら、どちらが有利になるのか)、もっと議論があってもいいような気がするのですけどね。芸術家然としているのは前者、体現者然としているのは後者、でしょうか。なんにせよ幼い子の強い自己主張と弱すぎる自己主張は、大人からすると少なからずイラッとくるものです。

 

なんてことを姉妹を見ていて思った日でした。

 

質問しなくても好き勝手しゃべり出すのが二女です
質問されるとカチンと固まって黙ってしまうのが長女です

 

ではまた。