人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

注意されている内容がわからない

長女、ヴァイオリンのレッスンがありました。

 

スケールでは5番の運指がごちゃごちゃしていたのを、先生がすべて番号を書いてくださり、「翌週またやってきて。ほかのはいいので新しい調も」とのこと。カールフレッシュの嬰変のつかない調はとうとう残りh mollのみとなりました! やはり1年かかりましたね。

 

続いてバッハ。パルティータ3番ルール。弓をもっと大きく使う部分の指摘とクレッシエンド、デミニエント、曲の雰囲気を見ていただいて、とうとう合格をいただけましたー! 実は次のガボットやメヌエット、ブーレ、ジーグなど、最後まで譜読みだけはしてきていたのですが、先生に「ちょっとでも弾けるなら聞かせて」と言われたにもかかわらず「まだ練習が足りていないので」と遠慮して弾かない長女。なんでよ。最後まで全部弾いていたじゃない。弾きかたを教えていただきなさいよ。なんて思ったのですが、そこはなぜか長女かたくなでした。

 

最後にパガニーニの協奏曲。……これが鬼門でした。「音程あってないよー」「そこ、なーんにも感じない」「もっと、何か言いたいことない?」とダメ出しの嵐。これには長女もびっくり。「来週はこの曲からやろう」と先生も少し“どうしちゃったの?”という顔をされていました。

 

正直なところ親の私にもわからないくらい細かい話になってきていて、不安になってきました。「いつまで長女の練習を見ていられるか」に、です。

 

音程はかろうじてまだわかりますが、曲想になってくるともう本当にわかりません。先生がお手本で「こういう風に弾いて」とおっしゃった直後は長女も弾けるのですが、私にとって、元の演奏からどう変わったのかがわからない部分が増えてきてしまいました。この調子だと、親ができることはどんどん減っていきそう。

 

成長ととるべきか、親の限界が近づいたと捉えるべきか。それが問題だ。

 

「これをやりなさい」という練習方法はそろそろ終わりを迎えるのかな
寂しいような頼もしいような、複雑な親心です

 

ではまた。