人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

解けない問は答えを見よ

我が家のブロードバンドルータ、これで三代目なのですが、新しくしても新しくしてもすぐに電波の入りが悪くなります。これはいったい何でなのでしょう。

 

再起動すると少し戻るのですが、その再起動が面倒だから新しいものに買い換えているのに、すぐにダメになる。何かいるんですかね、Wifiの電波の前を横切るような何かが……。

 

はい、夏の怖い話でした。

 

長女も二女も、コンクール前だったので楽器練習に集中していて、最近は学習のほうを少しおろそかにしていました。そんな折、時間ができたタイミングでババッとまとめて勉強を進めているときに気づいたのですが、子供のというのは一度「難しい」と思ってしまうと、思考が停止する癖がありますね。

 

いや、子の個性によって違うのでしょう、立ち向かう子、投げ出す子、気にしない子、いろいろでしょう。しかし姉妹は考えているような姿勢で止まってしまうタイプなのです。

 

何かで読んだのですが、そういうときは「さっと諦めて回答例を読んでしまう」のがいいそうで。5分悩んで解き方が思い浮かばなかったら、答えを見て書き写してしまう。その回答をちゃんと理解さえしていれば、次に同じような問題が出たときにも対処できるようになる、というのです。

 

実際、悩み続けて無為な時間を過ごすよりも、回答例を見て納得したほうがいいこともあるかもしれませんね。大昔に塾に通っていたころ、解けなかった問題の回答法を指導してもらうと、脳がパァーッと明るくなったような感覚を味わった記憶があります。あれと同じでしょうか。

 

わからない問題はさっさと答えを見る。もしこれを楽器習得に応用するなら、「解釈を思いつくことができない音は、誰かの真似をすればいい」ということに繋がるのかな、なんて思いました。子供の少ない経験で「音に解釈を」なんてほとんど無理です。でも、解釈を持った音を真似ていれば、そのうち経験が音に追いついていきます。

 

ただ、まあ、解釈を真似た音に「説得力がない」という講評をいただいたばかりの長女。これは新たな課題ですし、それを解決する方法は探っていかなければならない。なぜなら、「経験したことが無いことは表現できない」は、年齢とともに通用しなくなっていくからです。

 

たとえば。説得力の無いSF小説ほどつまらない物語はありません。SF小説に登場する科学はあくまでも現代科学の延長上にある筆者の創造物です。しかし、たとえ空想の産物だとしてもそれに説得力がなければ、その時点で物語が成立しなくなってしまうのです。つまり、「経験したことがない」こと、たとえば「UFOに連れ去られたこと」とか「ネッシーに追いかけられたこと」とか「ワープ航法でアンドロメダ星雲に行ったこと」などを「経験してみないと音にできない」ようでは音楽家はつとまらないのでしょう。

 

自己流の創造力を養うまで、先達の知恵と経験をお借りして真似る。でもそこには自分が納得した上で真似ていなければならない。そんなチャレンジをこれから積み重ねていくことになりそうです。

 

……相当難しいとは思いますが。

 

実はその手の創造力は二女のほうが得意なのでした
でもこういうのは「コツを知って、やってれみばできる」ものなのですけどね

 

ではまた。