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人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

勢いと整い

長女 ヴァイオリン

字の整い方というのは見ていて面白い。絵や図で頭のなかに覚えてしまう二女は、とても美しい文字を書くことができる人です。が、書き順がめちゃくちゃです。「中」という字を、まず最初に一筆で四角を書いてから真ん中に棒を通したのを見てしまったときは何が起こったのかと私を包むように時と音が止まりました。

 

一方の長女は書き順や読み方などにとても細かく、間違えた漢字は必ず書き直し、次は間違えないという姿勢を見せています。が、一年生のときは象形文字に還元するのではないかと思うくらい字が汚かった。

 

そんな長女も今は綺麗な文字を書けるようになってきました。筋力とかの問題もあるのでしょうが、そもそも大ざっ……おおらかな性格なんですよね。

 

さて、勢いのある文字を書いていた長女、文字がきれいになるにつれて勢いが減ったかというと、実はそうでもなく。荒々しい、ある意味長女らしい雰囲気はそのままに、形状が整ってきたというのでしょうか。このまま美しくなっていけば素敵な書を記してくれそうです。

 

振り返って演奏ですが。元々「勢い」だけは誰にも負けないぞという気概で弾いてきた長女のヴァイオリン。先生もその点については認めてくださっているご様子です。しかし勢いだけがあっても仕方ないわけで、丁寧なきめ細かさやテンポ感を含むバランス感覚というものも整えていかないといけない。

 

最近、丁寧に丁寧にと進めるあまり、音楽の全体像がぼんやりした演奏をすることが増えてきました。それは楽器が大きくなったばかりということ、テクニックが追いついていないということ、そして音楽の感覚を捉え切れていないということ。この三つが複雑に絡み合った、なんともすっきりしない感じの演奏なのです。

 

日毎に良くなっている部分もあるのです。音程は1年前に悩んでいたときから比べると相当良くなった。駒と指板の間を弾くことも、弓を立てることも、1年で相当上達しているのです。

 

しかしどこか勢いが減ってきている気がする。先生からも最近「何も考えずに弾いている部分があるよ。そういうところは1カ所でもあったらダメなの。集中を切らさずに、何を弾いているのかを頭の中に思い浮かべて音楽を進めていくの」といったような内容の注意が増えています。

 

かといって好きなように弾かせてみると、何が言いたいのかはわかるのですが、音程がグチャグチャになったり、ボウイングが不安定になったりと、あまりいいことがありません。

 

この現象の中でもっともよくないことは、意味を持たせていない演奏のまま長時間練習した音を覚えてしまった結果、その演奏が当たり前になっていくこと。これが本当にたちが悪い。

 

曲を簡単にする、意外に手段は無いのかもしれないな。

 

ゆっくりとした部分をいかに丁寧に弾くかをもう少し意識してもいい気がします
パガニーニだろうとヴィエニャフスキだろうと、そういう部分はちゃんとあるのになあ

 

ではまた。