人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

伸ばすのか、創るのか

ヴァイオリンやピアノの先生の指導方法を見ていてふと思ったのでメモがわりに記述しておこうと思います。

 

善意と気概のある指導者には二種類のパターンがある気がします。

 

ひとつめは、タイミング重視。今現在は完成していなくとも、いついつまでにこれだけのことができていればよい、という遠くを見通すタイプ。ピークを遠くに向けるため、今は荒削りでもOK、ただしいついつまでにはこの技術を身につけさせる、という感じ。現在の主流なのでしょうか、比較的お若い先生に多い気がします。できる部分を集中的に習得させてその子の特性を伸ばしていくことに注力してくれるため、曲を次々と消費していきます。子どもにとってクリア条件が低いため、飽きずに新しいチャレンジをしていけるという利点があります。ただし、将来は感性を集中して磨かなければならないのと、芸術性を表現できる同年代の子に“今は”負けてしまうというデメリットもあります。

 

もうひとつのパターンは、まさに真逆、芸術性重視の先生です。ピアノもヴァイオリンもタッチやボウイングなどのニュアンスによって表現が変わります。その表現力を幼いうちから育もうとするタイプですね。この指導のメリットは真の音楽家を育てる英才教育になりえるけれども、反面、楽器嫌いになる子が大量に生まれる可能性もあり、一長一短です。天才メーカーはこちらではないでしょうか。また、指導者の芸術性(と言う名に隠れたその先生の好み)に偏った指導をされるため、子どもならではの柔軟な思考が硬直する恐れもあります。指導者が偉大であればあるほど、この指導法は有効だと思われます。

 

先生を比べる場合、この人はどちらのタイプだろうか、と考えながらレッスンを受けてみると面白いかもしれませんね。

 

ではまた。

 

 




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