与え続けて根本に気づかせる
今日は、物事の理屈を知れば興味はわくもの、というお話。
妻は「自分がしてもらっていたから」という理由もあって、お風呂に公文のシートを四枚くらい貼っています。
そもそも娘たちはじっくり塾に行く時間がありません。習い事の予習復習でたいてい一日が終わってしまうからです。そんな二人の一番のリラックスタイムはお風呂。ですから親がほっとくと三十分でも一時間でも入っています。
そこでこのシート。すべて特に「これを使ってこうやって練習しなさい」とは言いませんでした。ただ、勝手にそれを見て「なにこれー」と楽しんでいる様子。漢字の読み方もなんとなくこの表で見ていたおかげか、すんなりと読めるようです。
先日、掛け算の表をみながら「にんいちがに、ににんがし」とふりがなを読んでいたみたいで、妻が「2が3つあるから、にさんがろく、なんだよ」と一言言ったら、
「ああーーー! そういうことーーー!」
とアハ体験したらしく、世界がひらけた様子でした。
学習ってこの体験の繰り返しなんですよね。このときの感動が次の意欲を呼び込むといいますか。長女はいつだってその繰り返しだった気がします。ヴィブラートを初めてかけたときも、重音でキレイな音がでるようになったときも、スピッカートを遊びで始めたときも、「でーーーきたーーー!」と嬉しそうに笑っていました。
アハ体験前にやってはいけないこと。それは「なんでこんなこともわかんないの!」という怒声を浴びせてしまうこと。子どもが萎縮してアハ体験をホッと体験にしてしまいます。何度かやってしまいました。もうやりませんごめんなさい。
ではまた。