人生を劇場にしない

ヴァイオリン経験皆無の親が、迷走しながら長女を導く軌跡

なぜ弾くのか、という問い

ワールドカップ予選は勝ちましたが、WBCは僅差で準決勝敗退。

しかしそんなことよりも今は、軽く『カルテット』ロスです。こんにちは。

いいドラマでしたね。言葉を丁寧に紡ぐシナリオは大好物です。特に最終回、主人公の4人に送られた一通の手紙に、胸を貫かれた方も多かったのではないでしょうか。 

私は不思議に思いました。
この人たち煙のくせに何のためにやってるんだろう。

早く辞めてしまえばいいのに。

私は5年前に奏者を辞めました。
自分が煙であることにいち早く気づいたからです。
自分のしていることの愚かさに気づきすっぱりと辞めました。
正しい選択でした。

本日またお店を訪ねたのは皆さんに直接お聞きしたかったからです。
どうして辞めないんですか。
煙の分際で、続けることに一体何の意味があるのだろう。
この疑問はこの一年間ずっと私の頭から離れません。
教えてください。
価値はあると思いますか。
意味はあると思いますか。
将来があると思いますか。
なぜ続けるんですか。
なぜ辞めないんですか。
なぜ。

教えてください。

お願いします。

  

もう泣きそうでした。

でも、この問いに明確に答えを持っている人は、きっと奏者として続けていくことと思います。主人公4人もはっきりと言語化したものはありませんでしたが、明確な意志をちゃんと持っていました。そこに、“弾く”という答えを見出していました。引いては、なぜ4人でいるのか、の答えにもつながっていたと思います。

 

長女は今、基礎の積み重ねから再スタートしています。そのため、曲に集中しなければならないコンクールは当分お預けになっています。その方針は主に親が決めたことで、本人の意志は確認してきていませんでした。

ただ、親も人間。心は弱いもので。

昨年度の出場回数があまりにも多かったため、何も出ないということに若干の焦りもあり、こんなコンクールはどうだろう、あんなコンクールはどうだろう、と手探りしていたのが裏の事実。そんなことを先生にご相談したところ、「あまり難しい曲でなければ、出てもいいんじゃない?」というお言葉が。おや、意外とお許しが出てしまった。

長女よ、どうだい、出てみるかい。

軽い感じで聞いてみたのです。今までの長女であれば「うん、出る出る!」と飛びついてきていたので、今回もそうだろうと思っていたのです。

 

しかし。

 

「うーん。そうだねえ。出てもいいけど」

あれ、煮えきらないね。まあすぐに決める必要もないので、自分で決めてごらん? と数日与えることに。すると、レッスンの前日にぽそりと、

「今回は出ない」

おずおずとではありましたが、はっきりと自分の意志をいいました。そうか、それなら出ないでいいよ。でも一応理由を聞かせて?

「レッスンで曲はもらってるし、難しいテクニックは無くてもちゃんと弾くのは大変だし、ご褒美演奏会(入賞者披露演奏会)の曲もちゃんと弾きたいから」

かなりまともな理由でした。「なぜ弾くのか」と問われれば「そこに舞台があるから」と応えてきた長女が、今は「なぜ弾くのか」に答えを持たせることをいったん保留している。心も試行錯誤中なのですね。人間って、若さって、すごいと思います。4月からはソルフェージュも本格的になるので、答えを探りながら日々を悩んでくれたまえ。青春の懊悩ってやつをね!(まだ思春期にはちと早いですが)

 

一方の二女は、新しく教えていただいているピアノの先生にもなれてきた様子。とにかく心構えとメカニックを叩き込まれています。毎回山のような課題と高い要求を申し渡され、ああでもない、こうでもない、と日々練習しているところ。

そのおかげか、今までは絶対に出せなかった音を、少しずつではあるもののの、徐々に出せるようになってきていて、正直驚きました。そうか、ピアノってこうやって弾くのか。難しい楽器なんだな。そんなことを感じながら二女の練習を見ています。

のれんに腕押しといった風情のある二女は、一見すると強い気持ちでピアノに向かっているようには見えないのですが、レッスンはいつも愉しみにしています。そして心から好きな曲にはとても情熱的にあたり、イメージと曲の構成がカチッと脳ではまると、唐突に良い演奏になります。

ところどころ雑だし、先生に言われたことを忘れてぼけーっと弾いていることもあるし、正直言って「本気なの? 趣味なの? はっきりしてくれ」と親がやきもきする子。しかし「なぜ弾くのか」の問いには、おそらくふんわりと自分なりの意志があるのでしょう。ピアノを弾くことは好きそうです。

 

なぜ弾くのでしょうね。

音に飛べ、飛べ~って、そして誰かに届けばって。そんなふんわりした理由に、いつか達してくれるんだろうか。この子たちの将来を思うと、悩まない日はない。そんな揺れる毎日を過ごしているのでした。

  

先日レッスンで少し褒められたことを、長女はとても喜んでいました
なんというか原始体験に戻ったんでしょうね、いきいきしています

 

ではまた。